恋愛話。
恋って、終わるたびに恋してたときに考えてたこと全部が裏返る。
恋することで作り上げられていたわたしの世界が崩れて、まっさらになる。
そんな激動を経験するのが億劫で、恋に食傷気味になっていたこともあるな。
でも結局のところ、わたしは恋愛体質で男好きなんで、「いいなっ✨」って周囲の男の人に思っちゃうのは止めらんないんだけど。
そして「口に出さなければ傷つかなくて済む」という小賢しさを覚え、好きな人に「好き!!!!!!」って言えない小娘ができあがったのかも。
まるで砂のお城みたい、作って、壊して、不毛だなって。
でもね、わたし子どもの頃にずっと好きだった絵本があって。
「ゆりとかいがら」っていう絵本なんだけど、ゆりっていう女の子が浜辺に行って、お城を作るお話なの。
絵がとても綺麗で、砂のお城を作るのって楽しそう、って思った。
だから、
砂の城みたいに不毛、って思ってたけど、
作ること自体が楽しくて、わくわくして、綺麗なものができあがるなら、
それがたとえいつか崩れてしまうものだとしても、
意味がないなんてことはないな、って、ちょっとずつ信じてみる。
声や歌が、口から離れたら消えてしまう、わたしたちの前を通過するものでしかないように、
愛も恋もそうなのかもね。
砂のお城がいつか崩れてしまうように。
でもなんか、その潔さは、命にとてもよく似ていて、愛おしいと思う。
きっと、寂しいことなんかじゃないんだな。

そしたら、そういえば、「愛と情」って、「陽光をたっぷり含んだ熱い砂」がモチーフの一つだったなって思い出しました。
アルバムの方も、表題曲の方もね。
「 気まぐれに前を飛び交って行くさ
乾いた陽と 風の中に 」
っていう歌詞を書いたんだけど、愛ってそういうものかなって思って、
でも当時は、そういう切なさを歌で消化しようと思って書いたけど……
きっと、ネガティブなことではないんだ、って今は思う。
美しいよ、それはそれで。
それになんか、神様に似ている気がする。
形もなければ、感じる力がないと感じることもできないけれど、ふわっと確かに背中を押したり、温めたりしてくれる、春先の風のような存在。
それが今頭の中でね、砂の城を崩す風とリンクしてる。
さらさらと端から連れて行って、お城は風の中に消えて行ってしまうけど、
風の中に消えて行ってしまうってことは、
それからはその愛に包まれて生きていけるってことなのかもしれない。
……っていう、恋ができたからそう思えるようになったのかな!
だから、当時は
「 何かが始まるんだ
欲しがり続けてたもの 気づいたから
愛と情
いま まっさらになった心から 」
って歌ってたって、何が始まるのか、わからなかったの。
わたし、たまにそういうことがあって、自分の感情を吐露しようと思って詩を書くのに、今の自分には見えてない未来が詩の中に現れてくることがあって。
でも確かにその歌詞の中にわたしの気持ちを歌うことになってるから、わからないまま歌うしかないんだけど。
やっと何が欲しいのか、何がはじまるのか、見えてきたかもしれない。
おまたせ。
なんかね、そう考えると、「陽光をたっぷり吸い込んだ熱い砂」がね、
「 よっ! いるよっ! 」って感じで、わたしを待っててくれたような映像が今頭に広がってる。
「 さぁ、これから何を作ろうか? 」
って、まっさらになった砂地で、砂たちは、立ち尽くすわたしに言ってくれてるの。
今「愛と情」(表題曲)を聴くと、そんな画が視えるかも。
でも実はね、その画は、この詩を書いた時から見えてたんだ……
それを今やっと言語化できただけで。
Boothの、「愛と情」の CDの商品ページの紹介文も、その画を頭に思い浮かべながら書いてた。
かつて恋だった愛が溶けた風の中、
そしてこれからわたしが新しく何かを作っていくことを待って、そのためにわたしの前に、周りに、存在してくれる広大な砂地の中。
そこでわたしは「愛と情」を歌ってたし。
レコーディングの時。
歌にかけた願いが、謎が、やっとわたしに理解できたから、
そろそろうちの在庫たちにも、このかかった願いをわたしじゃない人たちに届けに行ってほしいな、って思います。
「愛と情」、残りわずかです。
手に取ってみてね。
恋愛の悩みとか、失恋の痛みとか、わたしが癒してあげる。
