応援されるって、
愛されるって、
売れるって、
実はすんごく怖いこと。
何か返さないといけないとか、
何で?????とか、
こんなんでいいの????とか、
こんなわたしでいいの????とか、
いろんな感情がぐちゃぐちゃになる。
だから、嬉しいんだけど、
嬉しいからこそ、修行みたいだなって思ったり。
幸せになる覚悟がどうの、
幸せになる恐怖がどうの、って、意味がわからなかったけど、
ちょっとずつわかってきてる。
わたし思うんだけど、
愛やお金や応援のことばを、もらってすぐ、「何か返さなきゃ」って思考になるのって、実は受取拒否をしてるんだなって。
前もブログに書いた気がするけど。
一旦受け取って、肚に落として、それから初めて心からのお礼ができるのであって、
反射的に「返さなきゃ!」で返しちゃうのって、
愛を投げ返してるような気がする。
心が通わないままのお礼になってしまう気がするから、気をつけないとなって思う。
反射で返すお礼には、「こうしたらこう返す」--「してもらったらお礼を言わなきゃ」っていう道徳の産物だから、その人独自の匂いっていうか、生々しさっていうか、そういうものが乗り移らない気がするのね。
その人の身体から生み落とされたお礼ではなくて、
道徳観念によって無理やり作った、でも実は判で押したような、大量生産のお礼になってしまうなって。
この感覚は、創作においても、ビジネスにおいても、すごく大事な気がするんだ。
わたしは、創作って、何か刺激に対する「反応」ですぐ生まれるものというよりは、
受け取った刺激を、一旦忘れるぐらい自分の中に保管しておいて、無意識の深いところのスープに溶け込ませてから、
それが今までの記憶の蓄積とつながって、
あるタイミングで無意識のスープからふわっとアイデアとして浮き上がってくる、
そうやって生まれるものだと思うのね。
お礼とか、感謝の気持ちも、そういうものだよなって。
つまり何が言いたいかっていうと、
怖いからって、
愛もお金も応援も、反射的にお礼をするんじゃなくて、
メンタル的なことになっちゃうけどさ、
ちゃんと受け取ること!
それを練習していきたいなって思った。
ちゃんと受け取ってこそ、ちゃんとお礼ができる気がするの。
ちゃんと受け取れるようになっていったら、ここももっと、メンタル的にだけじゃなくて、掴みどころある話ができるようになる気がする……
ちょっと待っててね!
まだ練習始めたばっかなの。
これからのわたしに絶対必要な練習だ。
チャオ。
宵部憂