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悲しいことがたくさんあったよ、
怖いこともたくさんあった。

それでもわたしは生きてきてよかったし、
これからもっと自由に生きていけることが嬉しい。

泣いてばかりで、
怯えてばかりだった時のことを、思い出したくなるときは、

もしかしたら優しくされたい、愛されたい時かもね。

 

愛にもいろいろあるよね。

陽キャな愛と陰キャな愛があると思う。

それは別に、その愛の出どころたる人の気質によって決まるとかじゃなくて。笑

弾けるような愛と、染み込むような愛、どちらも素敵だよね。

そしてどんな人でも、そういう陰陽が絶妙な愛情を持っている。
それはその時々によって変わって、どんな配分の愛も、絶対に必要な時があるものなの。
そしてわたしたちは、その愛を他人に注ぐこともできれば、作品とか自分の行為に注ぐこともできる。

でもまずは、そういう愛って自分の内側から湧いてくるものだから、源泉を堰き止めているものがあるならそいつをどかさないといけないんだけど。

 

なんかねー、包まれたいなって思うんだよね。温かいものに。人肌が恋しいってやつ?

それってまだまだ自分の悲しさが癒えてないってことなのかなって思ってたけど、いやいや、愛されたいなんて、人として当たり前の、自然な、可愛い願いじゃん。

愛されてないと思うから愛されたいんじゃないよ。

もっともっと! 愛されたいの。

優しくしてほしいしー、可愛がられたい。

 

あの、内側からぽうっとあったかくなるような、じんわりくる、それでいて落ち着かなくなるというかエネルギーが湧いて居ても立ってもいられなくなるような、あの感じがすごくほしい。もっともっとほしい。

わたしが温かいものを好んで飲むのも、その感じを疑似体験したいからで、
わたしが厚着しがちだったり布団にくるまりすぎたりするのも、包まれてる感じを感じたいから。

 

昔からね、「一人っ子だから甘やかされてる」って言われないように、子どもなりに頑張ってきたんだ。

でも実はさ、わたしはこんなに甘えん坊なの。

あとあと、お姫様とかお嬢様とか、冗談で言われるのもすごい嫌だったから、言われないように頑張ってた。

ある程度大人になってから……なんだろ、女子校入ってからは逆に、お姫様っぽくあることに自分の個性を感じ始めてたけど、そういえばずっと忌避していたなと。

本当はどろっどろのでろっでろのあまっあまに愛されないと満足できない子なのにね。

 

お父さんは怖かったけど、小さいわたしのことをお姫様みたいに溺愛してくれてた。
わたしが成長してからはぶつかることも多かったけどね。
だってさ、小さい時電車でお出かけして、わたしが疲れて座りたいけど座席がない……っていう時に、お父さん、自分の片足を出して「ここに座ったら?」って言うんだよ。
やばいでしょ? 
自分の足に座っていいよって、わたし専用の座席自分で作っちゃうの。ばか。親ばか。

 

男性不信とか男性恐怖とか、正直すごくあるんだよね。
そこにはお父さんが怖いっていうのが関係してるのはわかってた。
でもどうしたらいいかわかんなかった。

けどなんか、やっとわかった気がするし、やっと、怖いものなんてなくなる気がする。

ただの人じゃん。って、ずっと思えなかったけど。

もうそんなことない。

 

子どもの頃は愛されて当然だけど大人になったら違う? そんなことぜんっぜんないと思う。
まだ予感めいた確信でしかないけど。
これから経験して体現して、「ソースは私。」って言えばいいよね。

 

優しくされたい、愛されたい!!! って、
際限なく思っていいし、
際限なく思うから人は生きていて、拡大もするし、
とても純粋で可愛くて生命力を感じる、
っていうか生命力そのものだよね。

 

えへへ。朝から書きながら泣いちゃった。

 

なんだよ、愛されてたじゃん。

ってことは、愛されるんじゃん。

 

なんか、生きるって楽しいね〜!!!