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 親はわたしに自分が愛だと思っているものをたくさん注いでくれたけど、

 それをわたしが「愛」と解釈する必要はない、ってことに、今日やっと気がついたよ。

 わたしにとって愛は、「気まぐれに前を飛び交っていくさ 乾いた陽と 風の中に」っていうようなもの。

 気まぐれで、カラッとしてて、軽やかなの。

「うまーく行きますように!」っていう、無邪気なお祈り。

 それでいくとさ、はっきり言うけど、わたしは愛されたことなんてなかった。

 わたしのそうしてほしいやり方で、ってことね。

 そしてそれは、みんな通る道なんだ、って思った。

 100人いたら100通りの愛の形があって、100のカップルいればまた100通りの愛と関係性があって。

 親と子のそれが一致しないなんて当たり前どころか、だからパートナーシップは別々につながっていくんだよね。

 それを「家族」とか「親類」みたいな名前で束ねようとするの、オエェエエ〜〜〜〜! って感じだけど。

 恋人に向けるそれと同様に、親が子に向けるそれも、「投影と代償行為の 薄汚れていても尚 綺麗に揺らいだ景色も悪くはなかったな なんて思えるようになったよ」っていうようなものなんだと思うの。

 で、「悪くはなかったな」って思えるようになるにはさ、一度は徹底的に拒絶する必要があって。

 それはわたし、今なんだろうな。

 欲しがり続けたもの、気づいたよ。

 わたしはわたしの愛の形に気づいて、これから育んでいく。

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 最後まで読んでくれてありがとう。

 あなたも、自分の愛の形に出会えますように。

 この地球で一緒に生きていくあなたとわたしに、幸あれ。

 これも愛だね笑

 宵部