はーぁ。
月のもののおかげでとっても悲しみに包まれているので悲しみのままに書こうと思います。
この3、4日ずっとそんな感じだったけど、しっかり悲劇のヒロインやってるところを人に見せるのがちょっと恥ずかしくてブログには書かなかった。
でも取り繕うのはやめて、自分の、気分次第で捉え方は変わるけど角度が違うだけでどれも本質で真実である現実を見て、ちゃんと悲しいことも書かないといけないなって思いました。思うままに書いてみる。
ああ、なんだろ、わたしすっごく頑張って生きてきたんだよね。
見捨てられないように、常に少しでも自分を良くできるように、人から言われたことをぜーーんぶ真面目にとらえて試してさ、本当は全部つまんないって壊してしまいたかったけど、「今を面白がることだってできるはずだよねっ」っていう純なポジティブさで腐らずに生きてきたよ。
誰かを恨んでも、必ず自分の成長につなげてきたし、自分の学びにしてきた。
だって、人は人を助けられないから。
誰もわたしを助けられないから。
わたしを助けられるのはわたしだけ。
そうするしかなかったんだもん。
だから悲しいとか寂しいって言うのが苦手なの。苦手なのかな、怖いのかな、嫌なんだ。
人を羨んだり見下したりするだけの人間で終わりたくない。
自分は楽しく生きたり明るく振る舞ったり軽やかに動いたりできない、そういうタイプなんだ、って思いたくない。
同じ人間なんだから、誰かにできて自分にできないってことはないはず。
他の人と同じように生きられて、何も手につかないほど悩んだり何もしたくなくなるほど打ちのめされたり起き上がれないほど疲れたりせずに楽しそうにできる「みんな」はいいな、って思うだけで終わりたくない。
それにさぁ、悲しいとか寂しいって言ったって何にもならないじゃん。
って、思って。
だから、ばねにしようとばかり考えてた。
だって今まで何にもならなかったもん。
わたしが泣いても喚いても、わたしを取り巻く景色は何も変わらなくて、わたしの声がしぃんと響くだけ。
だからわたしは、必死で別の景色を開こうと走り続ける。
でもこれって、勝手に一人で拗ねてたのかな。
何が悲しいのかとか、何が辛いのかとか、今まで必死に説明しようとしてきたけど、ぶっちゃけ説明できないんだ。
今までの人生の色んなことが辛くて、その時間を過ごすために身につけた色んな癖がまた今のわたしを邪魔している気がするけど、
特に、学校という場所はとにかくわたしにとって苦しさの塊で、その苦しさを分解も分析もできないぐらいトラウマティックな場所だった、ということなんだと思う。
本当はすごくつらいのに、それも麻痺させて頑張って溶け込もうとしていたから。
自分の言いたいことを言えない、自分の身体や気持ちの波に合わせて動けない、刺激がたくさんある場所に毎日行かなきゃいけないのって、辛すぎる。耐えられない。
それが当たり前のことみたいにみんなこなすから、自分自身よくわかってなかったけど、年々、こんなに学校が辛かったんだって分かってしまって堪らなくなる。
無理だ。
無理の塊。
「ふつう」とされているライフスタイルがこんなに無理ってことは、わたしは次の時代の「ふつう」を作る側の人間として生まれてしまったってことなのかもしれない。
そうじゃないと理に適ってないと思うぐらい、わたしにとって学校生活は暴力的なものだった。
そう、「暴力的」とまで言わないと言い表せないぐらい。
毎日ボディーブローを500発ぐらい全身に喰らわせられているような。
わたしにとってあれは、暴力の塊だった。
なのに、どうにかその場所で生きていこうとしてしまった。
まあ、学校に行かないなら行かないでしんどいことを小学生の時に学んだので、だったら自分を殺してやり過ごしたほうがまだマシだなあって。
わたしなりの処世術を身につけてしまった。
でも、わたしは処世術って言葉が本当に嫌いだ。
そんなもんを身につけなきゃ渡っていけない世界の方を、本当は壊してしまいたいのに。
でも当時のわたしは幼すぎて何もできなかった。心の中では何回も人を殺したし、真っ黒だったけど。でも何もできなかったし、誰も助けてくれなかったし、一人で立つしかなかった。
そんなものが根底にあった上でこなしていた処世術だから、人に心を開くことができなくて当たり前だ。
ああもうまとまらなくなったから本音をバシッと言ってしまおう、
今まで暴力にさらされてきた分、
これからはもう甘ったるい愛情を存分に浴びて生きていきたいのだ、
だからもおおおおおわたしのこともっともっと愛してよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
ってこと。
もう、もう、でろんでろんに愛されたい。
わたしのための厳しさなんてものはいらない。一体どこから目線の何様なんだよって思うし、そもそも厳しさは本当に上質な精神には一切ないものだとわたしは知ってしまった。だから厳しさは結局のところ、支配者が自分の都合のいいように奴隷を動かすために「崇高な精神」ということにした奴隷根性を人に伝達するものでしかなく、むしろ駆逐していかなければならないものなのだ。男の人には修行が必要なのかもしれないが、女の体には合わない。
大事にされたい、
ひたすらに大事にされたい、
道具とか資源みたいに扱われたくない、
お姫様になりたい!!!!!!!!!!
我慢なんてしたくない、
人になんて合わせない、
わたし中心に世界は回ってる!!!!!!!
わたしはわたしにたっぷりそんな愛を注いでるよ。
それで、あなたたちはどうなの?
愛されたい。
愛してほしい。
そしたらさ、わたしはきっとよく眠れるようになるんだと思う。
ずっと寂しかったよ。
ずっと見つけてほしかった。
でも、どうせ駄目でしょ?って、わたしは諦めて歩いてきた。
わかってるよ、って、わたしは自分で歩いてきた。
でも、駄目じゃないとしたら?