学校がしんどい君へ。8 〜お弁当グループ〜

 久々の更新になってしまいました。お待たせ。

 ここ数日、「え、もしかして社会ってマジでしんどい??? マジか……」って気が付いて、どよ〜んとした気持ちでいました。
 何かを決める重要な立場の偉い人たちが、みんな頭の硬い、古い、自分のことしか考えてない、想像力と共感力って知ってる?的な人たちなのかもしれないし、そうでなくても臆病で頑なで、だから何も変わらないのかもしれない、どんなに頑張ったって、声を上げたって、無駄なのかもしれない、なんてことを考えてしまって。
 でも、わたしたちよりずっとずっと年上の人はともかく、今還暦ごろの人たちとそれより年下の人たちとかは、どんどん価値観が変わってきてるんじゃないかなとも思うので、偉い人たちのことを見るのもとても大切だけど、周りを見渡したら仲間や仲間候補は結構いるんじゃないかなって希望も捨てずに行きたいね。

 話は大幅に変わって、「お弁当グループ」が苦手だった話をします。

 わたしは中高と女子校にいたからより気になったのか--いや、別に共学にいても女子のコミュニティってそんな感じなのかもしれないんだけど、お弁当グループっていうのがありました。
 いつも同じメンバーでお弁当を食べるわけです。
 つまり「特に仲良い人たち」「いつも一緒にいる人たち」ってことですね。

 でも正直に言うと、当時のわたしはそれが少し窮屈でした。
 あと、どこのグループに所属しているかで、そのクラス内の社会的立場が担保されるみたいなところもあって。
 カーストみたいな感じではなかったけど、「無所属」がいない感じがどうも座りが悪くて。
 国家を形成する最小単位が家族、みたいなように(わたしはこの考えには超反対ですが。だからお弁当グループという暗黙の制度に違和感があったのだと思います)、教室を構成する最小単位がお弁当グループでした。

 そもそも、自分がかなり変わった人間であるという自覚はあったので(自分が他の人とは違う、ということは、小学校時代の不登校により確固たる「事実」になったわけで)、「浮かないかどうか」「場の空気や平和を乱していないか」と常に気を使わねばいけない環境がしんどかったです。

 わたしはもともと一人をエンジョイする人間でした。暇なときはお話を作ったり歌を作ったりして、ずーっと一人で過ごせる一人遊びのプロだったのです。あと昔から創作フリークだった。
 だから、誰かと一緒にいるより一人でいる方が楽しいなんてことも、そりゃ当然ザラでした。
 その「誰か」が、わたしの話したいことを話せない相手なら尚更。
 わたしの話したいこと、というのが、哲学的だったり抜本的だったり時に過激だったりする問いだったから、当然と言えば当然なのですが。

 今思えば、落ち着いて一人でいればよかったのかもな、とも思います。
 もっと自分一人で自分に自信を持てる方法を(今のわたしが知っているように)早く知って、とにかく自分の世界だけを突き詰めればよかったんだろうなって。
 学校の中に自分と価値観の合う人がいないなら、本とか読んだりして、本の中に自分が共感できる考えの人を探したりとかして、どんどん深めていけばよかったかなーとか。まあ疲れててそれどころじゃなかったんですけど。

 どのグループにも入ってないけど、喋ってみると実はすげー面白いし、でもやっぱりよくわからんし、でもすげー面白い。そんな人になれたのかもなーって。

 とはいえ思春期・反抗期ですし、周りにどう見られているかが気になるのは当然です。
 それに、学校の価値観だと、やっぱりお弁当グループに属していないって言うのは社会性がないっていうふうに判断されていたかもしれません。
 ということで、当時の私も、お弁当グループになんとか身体を収めるのが生存戦略だったのでしょう。
 ものすごい閉塞感でしたが。

 一人でいるのが楽しいからといっても、話せる人が誰もいなくてもいいわけでは決してありません。孤立するのは嫌なのです。
 ただ、周りに話が合う、なんでも話せる人がいればよかったなって思ってました。
 そういう人と「お弁当グループ」になれたら、そりゃ学校行くの、学校生活楽しいだろうなって。
 わたしは残念ながら、そういう人に学校で出会えませんでした。
 ちゃんちゃん。

 今は出会えているので、とりあえずよかったです。

 ……なんだかしんどい話になってしまいましたが、「お弁当グループ」が苦手な仲間は、とりあえずここに一人います。そしてわたしがいるということは、仲間は絶対にもっといます。
 あなたは一人じゃありません。

 今日はここまで。次回は「閉塞感」について書こうと思います。
(気が変わるかもしれないけど)

 最後まで読んでくれてありがとう。
 また次回、お会いしましょう。

 わたしはあなたの味方です。
 ずっとね。