学校がしんどい君へ。5〜続 高速・低速モード

「低速モードの時は何もできない」っていうのも全然間違ってない。これが大前提だと思う。

 ただ、「好きなことしかできない」とか「好きなものしか食べられない」っていうのもあってる気がする。
 好きなことっていうか、よっぽど気が向いたこと、それをすることで今安心できるなあとか、やる気が湧かない中でもこれだけは楽しいかも、みたいなことしかできないんだ。

 それは多くの場合建設的じゃない。
 そもそも低速モードのわたしは、建設的なことをしようとか頑張ろうみたいな傾向の動きが大嫌いだ。体調悪くてそれどころじゃないんですけどってなる。
「体調悪くてもこれだったらまあできる」の中で、「じゃあこれやるか」ってなるものをやって、それも飽きることがほとんどだけど、何かにハマることもある。つい一昨日ぐらいまではひたすら色んな人の「Detroit: Become Human」の実況見比べるのにハマってた。

 建設的じゃないって言っても、ハマったことからは何だかんだ色んなものを得たと思う。(あとでメモっとこ。レポートみたいになるかも)
 体調が悪くなきゃ、あれだけ時間のかかる動画を視聴することもなかったと思うし。
 低速モードは充電モードだし、高速モードの時にはやらないことができる機会だということにしよう。っていうかその通りだしね。
 自分の幅が広がる機会だ。

 世の中的には、いつでも建設的に、いつでも頑張って--つまりいつも高速モードでいるのがいい感じがして、そこがやっぱり嫌だし不安になるんだけど……無茶言うなって感じだしな。

 これからやってくる梅雨で、低速モード中の生き方を模索してみるつもり。
 少なくとも高速モードと同じパフォーマンスを出せるわけがないし、出そうとしたら自分で自分を追い込んでしまうからダメだし。あまり無理もしたくないし。

 ってか正直言うと、働くってなった時にどうなるかが心配なんだよね。温かい曇りの日はいつも具合が悪いんですけどって話だからさ。
 まあ今から心配してもしょうがないんだけど。
 将来のことは何もわからないもの。

 とりあえず、今はなんだかんだ生きてるし、そういう体調不良の時に心置きなく体調不良ができてるから、良いぞ~って感じ。
 そう、そういう、他の人にはわかりにくい体調不良に陥ってる時に一番怖いのは他人の目だからね。

 身体感覚って人それぞれだから、感覚過敏でもない人からしたら、わたしの頭痛ですらない気象病って意味がわからないと思うの。
(だからって「分かってくれよ」と言うのを諦めるのはよくない、それは自分を大切にしてないんじゃない? って、最近学んだんだけど)

 それでもね。
 意味がわからないかもしれないけど、わたしの不調は確かに存在するんだよね。
 だけどそれを認めてもらえなかったら……高校の時そうだったし、それでむちゃくちゃ病んだし……みたいな不安がさ。

 それでも生きていく方法として、自分の音楽活動や諸々の活動を頑張って、ゆくゆくはそれで生活したいと思ってたりもするけど、それだって低速モードの時は「頑張れない」わけだからさ。
 好きなことだって頑張ることはできなくなる(単にやることはできても)のが低速モードだから、余計に焦る。

 だけど低速モードになることは避けられないし、低速モードの時に頑張っても、ぶっちゃけあんまり意味はないし、最悪、活動自体に嫌気が差してしまうかもしれないわけで。それは絶対避けたい。

 人に理解され難い、しかも現代社会じゃ問題視されやすい低速モードがある身として、どうやって生きて行ったらいいんだろ、みたいなことは、わたしだって模索中なんだ。

 だから、わたしの「大丈夫だよ!」はあんまり当てにならないかも知れないけど……

 でもとりあえず、ここにも一人そういう人がいるよ、健康優良社会不適合者がいるよ、ってことだけは覚えて帰ってください。

 そうそう、「健康優良社会不適合者」っていう名乗り方はね。

 わたしがそうして気象で具合が悪くなるのも、身体の感覚が過敏で、自然の、自分の周囲の状況をビンビンに感じるセンサーがあるからってことで、つまり、物凄く健康的な不調なんだよ、って自分で思ってるからなんだ。

 便宜上「気圧病」とかって言ってるけど、全然病気じゃないし、対症療法はめっちゃ欲しいけど、「治療して」「自分のこの身体から消す」ことはしたくないし、それは自分の身体を否定することだと感じる。

「この社会で生きていくには治療しなければならない」っていうのは、「わたしがわたしのままで生きていってはいけない」ことだと感じる。

 だから治したくないんだ。

 まあそもそも治しようがないんだけど。

 そんなわけで、不安ではあるけど、この身体と生きていきたいと思う。
 これからどうなるんだろうね。