最初に言っておくと、学校がしんどいことは何も悪いことじゃない。
誰にだって得意な刺激と苦手な刺激があるんだから、「学校」がその苦手な刺激に当てはまるなんて普通にあることだ。
君は何も悪くないし、何もおかしくないし、ひとりじゃない。
まずはそれだけ覚えていてください。
学校がしんどい君の、少しでも心休まる、心温まるよりどころになりたい。
そう思って書き始めます。
わたしは小学校4年生の時から、断続的に不登校でした。
小4のときは確か、2月~3月はきっぱり休んでたかもしれないな。小5の時は騙し騙し行って、小6の9月から全く行かなくなりました。 当然親とは揉めに揉めましたが、わたしはあらゆる手を使って抵抗し、認めさせました。
自分の心を守るために絶対に必要だと思ったんです。
今思うと、あの時のわたしは子どもながら解離していたし無気力だったしゴリゴリに希死念慮もありました。それ以上に生きなきゃもったいないとか夢を叶えたいとかって気持ちがあったから、死のうと考えたことはなかったけれど、楽になりたいとか消えたいとかどこか遠くに行ってしまいたいとか眠ったまま目が覚めなければいいのにとかはずっとずっと思っていました。
その後も、中学高校は楽しいことも多かったんですけど、感覚過敏で体調を崩しやすいわたしには忙しすぎて大変で、結構苦しんでいました。
やっぱり不定愁訴(原因と症状がはっきりしない体調不良)で休むことがちらほらあり、その件についてまた親と揉めて、精神科に通院したこともあります。
でも今思えば、あれはちょっと違ったかな……感覚過敏で疲れやすく、体調を崩しやすいのを、うつ病という風に診断されたのだと思っています。つまり、正直言ってわたしはあれは誤診だったと思ってます。
そんなこんなで高校生活をしていて、3年になった時、受験のストレスでひどいパニック状態になってしまって。
それが決定打になって、生き方を変えて、ここまでやってきました。
今は東京藝術大学で、えっちらおっちら大学生をやっています。
生き方を変えたって言うのは、自分を責めるのをまずやめました。
自分の体調不良や情緒不安定を責めるのをやめました。いや、でもやっぱり自分自身動きたいのに身体が不調を訴えると、まず自分で自分にイライラするんですけど。でも、「こんなんじゃやっていけないのに!」って責めるのをやめました。
変わろうとするのもやめました。とにかく、自分を否定するのをやめました。
何をするにしても、まず、元気にならないといけないから。
それで少しぐらい嫌なやつになったって、心からごめんなさいが言えるなら、きっと大丈夫なんです。
わたしは感覚過敏で、疲れやすくて、体調も不安定で、頑張ることができません。
人並みの努力をすることがなかなか難しいし、それを自分に期待していると、思うように動かない自分の体に涙が出てきてしまうので、そういう「人並み」の物差しで自分を測ることはしません。
わたしが普通に生きていこうと思ったら、自分の身体の変化を管理して、神経質に生活して、それでも不調だったら痛み止めや酔い止めを飲んで、少しぐらいは体調不良を押してやるべきことをやって……ってなると思うんですけど、
いや、正直絶対嫌ですね。
嫌だからやりません。
……そんなの、生きた心地しないじゃないですか。
(でも具合が悪い時期が続くとつい、自分で進んで、そういう生活をしようとしてしまうので、反省です。
感覚過敏で自分の身体の変化にも過敏なおかげで、微妙な不調は自分である程度ケアできるのですが、……それは自分のために、自分の苦痛を緩和させるためにケアするのであって、無理やり身体を動かすためじゃないはずなのに)
頑張らなきゃ生きていけないとか、ちょっとぐらい我慢しないと生きていけないとか、そういうのは全部ふざけた幻想だと思っているし、そう信じたいです。
とりあえずでも、今は、倒れたい時に倒れられるし、かなり好きなことを好きなときにやれているので、大丈夫になりました。
将来の不安はあるけど……ある意味、そんなの誰でも同じだし。
いや、ちょっと違うけどさ、やっぱり。すぐに倒れる、しかもそれをあんまり理解してもらえない身体だから、周りとちょっと条件は違うけど……
でもとりあえず今は大丈夫です。
だから、あんまり信じられないかもしれないけど、説得力そんなにないかもしれないけど、あなたも大丈夫だよ、って言います。心いっぱいの祈りも込めて。
わたしがあなたを肯定する場になります。
どうか諦めないで。
あなたは間違いなく、必要とされて、この世界に必要だから生まれてきたんだよ。
それはもちろん目に見える誰かの役に立つためとかじゃなくて、あなたがあなたの望むようにすること、望むように生きることが、必ずこの世界にとって必要だから生まれてきたから、どうか、どうかあなたを、あなた自身を諦めないで。
あなたは、あなたらしく生きることを応援されて当然なんです。本当は。
だから、そうしない奴にわたしは心から怒ります。
わたしの言葉は、直接には役に立たないかもしれません。(っていうか、言葉って、他人の言葉って、しかもネット上の言葉なんてそういうものだしな)
でも、この言葉をこうしてネット上に放つことで、あなたが何も間違っていないことを保証することは、少なくともできます。
あなたは決して一人じゃない。
まだ出会えていないかもしれないけれど、あなたの味方になってくれる人は絶対にいる。
この記事がその証明です。
だからもう少しだけ、全てを諦めるのは先延ばしにしませんか。