学校でうまくいかないとか、働けそうにないとか、その理由は、
「孤独による窒息」かもしれない。
わたし、10歳の時から、ずっと言いたいことがいっぱいあるのに我慢してきたんだと思う。
わかってほしいことって言うよりも、自分が考えていること。
気づいたこと。
ねえすごいでしょ!ってもっと言いたかった。
こんなすごいことに気づいたんだよ!って。
ある意味「わかってほしかった」とも言うけどさ。
自分の発見がいかに偉大かをわかってほしかった。「なんでー!?」「わらわこんなに偉大なのにー!?!?!?」って思ってた。
……っていう欲求不満が溜まりすぎて、自分を飲み込みすぎて、それが「辛い」になっていたんだと思う。
「第一回ブログ大会」をやってみて、早くも気づいてるけど。
自分がすごいって思うものを、自分がすごいって思うところをすごいって言ってない人が周りにいないと、不安になるよね。
あと、ものすごく孤独になる。
わかるよ。
でも、自分と話が合う人や、自分が話をできる人は、自分で探さないといけない。
自分の居場所は、自分で探したり、作ったりしないといけない。
だって誰も、わたしの狭すぎるストライクゾーンなんて知る由もないからさ。
……で、合わない人と出会うたびに、がっかりするわけだけど。
がっかりするのは押し込めちゃダメだけど。それは自分の心の自然な反応だから。
それは熱い物を触って「熱い!」って言っちゃダメって言ってるようなものだって、わたしの尊敬する人の一人も言っていた。
だからがっかりすればいいし、がっかりするしかないけど。
でも、だからって「誰とも合わない」って絶望する必要はないよね。
何度も、探せばいい。
こればっかりは、試してみないと分からないから。
外れを引きすぎて探す気になれないなら、「ん? この辺にいる/あるかも」って、ヒントがピンと来るまで、一人で待ってみるのもあり。
というより、自分はどんな場所やどんな友やどんな情報が欲しいのかって、結局自分のことだから、一人の時の方がわかるのかもしれないし。
とにかく、誰もいないって思わないでほしい。
あなたがいるんだから、あなたは絶対に一人じゃないよ。
でも同時に、あなたはこの世に一人しかいないのも本当。
だから被らない。
だからって心通う人が誰もいないわけじゃない。
絶対にいる。
だからって無理に探さなくてもいい。
無理に仲良くしなくていい。
あなたのこだわりに忠実に。
あなたが、本当に心から、出逢いに感謝できる人と出会えますように。