わたしにとって、夢は生存戦略だった。
ってか、わたしに限らずそういう人って多いのでは。
そうでもなきゃ、そんなに執着できないし、そんなに諦められないことって無いんじゃないか。
でさ、そもそも「欲」=「〜したい」が生きるために湧くものということに立ち返ると、
夢が生存戦略なのってむしろ当たり前で。
ただ生存するためじゃなく、
自分を発揮することも「生きる」ことの最低条件に入ってるから、
三大欲求以上の欲も、
誰かに笑われたり分不相応だと言われたりするような夢も、
全部生存本能なの。
生存本能なら、
叶えなきゃ死んでるのと同じなの。
でも、わたしはもしかしたら、生きるためにと思いすぎて、間違った夢を見てたかもしれない。
間違ったって、当たり前だけど他人から見てじゃなくてね。
自分が本当に望んでいることとは微妙にズレてたって意味。
だから目指し方も間違ってた。
だって「頑張ってた」もん。
その「頑張る」だって、意欲に満ち溢れて言ってると思ってたんだけどさ、
どうやら違ったわ。
光を求めて、木が密集しすぎた森の中を幹をひょろひょろ必死に上に伸ばすような感じだった。
違う違う、わたしは本当は御神木だし、養わないといけないのは根なのに。
じゃあわたしの夢ってなんだったのか。
それは無理に考えることではなくて、
肚の底からふわっと湧いてくるのを楽しみに待つことなんだと思います。
何か目標として立ててそこに向かうんじゃなく、
一つ一つ自分がやりたいと思ったことを叶えてあげる、その先に理想とする未来が自然と、未来の方からやってくる。
ということで、しばらく毎日の「〜したい」を一個一個叶えて、「来た弾打つ」をやり続けて、静かに待とうと思います。
ブログも更新しまくるよ。
宵部憂