目立つことが怖かった。
「あんな人にならないように」って言われる対象になることが怖かった。
それは、わたしだって誰かを「あんな人にならないように」って思ってたから。
わたしが見下していた人は、集団からはみ出る人。
わきまえられてない人。
出しゃばる人。
わたしはずっと自分がそう見られるのが怖かったから。
でも多分、どんなに努力しても、わたしははみ出るし、わきまえられないし、出しゃばってしまうんだ。
わたしの努力なんて、してもしなくても変わらないぐらい効果が少ないくせに、わたしの中には「わたしは、がまんしている。」という蟠りを残し続ける、百害あって一利ないものだったんだ。
いや、一利ぐらいはあったか。わたしは「集団の中の一人」でいなくちゃいけないと思ってたの。
「集団の中で一人」になることが怖かった。
それって、矢面に立つということでしょ。
今でも思い出せるよ、わたしだけクラスの中でうまくいかなくて、先生から特別に個別対応されて、周りが困った顔をしていたの。今思えばそれ、わたしを裁く目線でもなくて、ただ、「何があったんだろう」だったのかもしれないけど。でもなんか、その時のわたしは、「ああ、今わたし、『困った子』になってるな」って思ったの。
他の子のことも、クラスで特に怒られてる子がいるとさ、他のみんながその子を見る目線が厳しくなる、っていうの、それまでの学校生活の中で見てきたから、子ども心にすごく怖かった。その視線がその先も持続するわけじゃないって分かっていても、とても孤独になった気がした。わたしの内側にどんな葛藤があろうが、どんな思想があろうが、わたしは「困った子」なんだ、って。レッテル、ってやつなのかな。
だから、前に出ることが怖いんだと思うの。
もっと上に行きたいと言いながら、目立つことが怖いんだ。それで周囲とうまくいかなくなるんじゃないかって思う。
でも、前に出たい。
わたしって素敵でしょって言いたい。
それも、混じりっ気なく、天真爛漫に。生命のまんまに。
自分の作ったもの、自分の言葉、自分が素敵だと思ったもの、自分の悲しみも喜びも。何に笑って、何に泣いて、何に何を考えるか、全部素敵でしょって。
わたし知ってるよ、命は生きてるだけで美しいって。
目一杯生きてる命なら、もっともっともっと美しいって。
わたしは自分の生を美しいと思う。
……こんなに自分好きなのに、集団の一部でいなきゃ、っていうの、結構無理があるよな。無理をしなきゃいけないのよな、そうするには。無理は……しないほうがいいよな。わたしのためにも周囲のためにも。
わたしって素敵だったわ。