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 今回は、いつも以上に感覚的な話をするんだけど、
 わたしは、自分の商品に、実は巣立って欲しくないって思ってたんだなって。

 商品=作品なんだけど、
 自分の作家としての、個性ともまあ言えるんだけど、こじれに気がついた。

 わたしはすごく、自分の作品への独占欲が強くて、こだわりが強くて、
 だから、なかなか人と共同制作とかもできなかった。
 実際には、自分の軸が定まり切っていなかったので、自分の「こうしたい」「もっとこうしてほしい」を人に伝えることもできないし、人の存在を感じることでどんどんぶれてしまう、っていう弱さのせいでもあったんだけど。
 でも、それはそれとして、やっぱり独占欲が強かったのね。

 だから、作品を誰が持つとかじゃなく、「みんなで持つ」ということができる人を、すごいなって思ってたし、憧れたし、なんでわたしはそれができないんだろうって悩んだりした。
 で、無理して真似しようとして、よけいぐじゃぐじゃになったり。

 でも、やっとちょっと分かった気がする。
 この記事↓書いてても思ったけど、わたしは、力が入りすぎていたんだね。

 どんな作品も、実際には縁だよなって思って。
 わたしの中の、着想と出会える縁、着想を形にする時の、いろんな音や色を選ぶ縁、でも、それは「わたしが選ぶ」ということでもあるけど、結局全てをコントロールできるわけがなくてさ。
 で、出来上がった作品が、どう運ばれて、誰に届いて、どんな需要のされ方をするのかも、全て縁。

 なのに、わたしは、その縁を信じて、その縁に任せるということが、できなくて、
 だから、本当は、作品に自分から離れていって欲しくないって思ってたんだよ。

 これはすごく意識の世界の話で、目に見えることではないんだけど……
 ここに気づいたことによって、目に見える現実も、何か変わっていくような気がする。

 

 わたし最近思うんだけどさ、
 愛するってことは、相手の存在や生を祝福することでしょ。
 祝福するってことは、なんだろ、どんな状態でも最高!ってことで。
 ってことは、愛する相手のことを信じて、任せて、その相手が経験するすべてのことを祝福することが愛なんだよ。
 人を愛するのもそうで、
 作品を愛するのも同じ。

 今まで、過保護過干渉だったんだな。

 わたしが愛したいと思うすべてのことに対して、そうだった気がする。

 そのくせ、素直に「あんた最高!」っていう表現はできなかったりして。

 ほんとこじれてた。

 

 音楽を作って発表し始めた頃は、
 もちろん、自分にスキルも矜恃もなかったからさ、
 とにかく純粋に、
 音楽を作れる喜びと
 作っていくうちに出会う色んな新しいことへの新鮮さに
 胸をいっぱいにしてた。

 その時の気持ちに、何度でも帰りたいって思う。

 そうだよ、所詮、わたしは素人だし、上手くもないし、何者でもないよ。

 だから、作ることを通して、それを人に届けることを通して、出会うすべてのことを、純粋な気持ちで祝福できるんだ。

 

 これからは、作品を、かたっぽはわたしで持ってたとしても、もう片っぽは色んな人に持ってもらいたい。
 今までは、両端を自分で持って、それを人々の鼻っ面に突き付けようと動き回ってたから、うまくいかなかったのかも。笑

 

 なんか、記事のタイトル、ちょっと前流行ってたエーリッヒ・フロムの本に似てる感じになっちゃったけど、そしてあの本結局わたしは読んでないんだけど、内容も似てるのかしら?

 

 いや、それはともかく笑、

 わたしの中ではかなり大きいことに気づけたという、記念碑でした。

 

 読んでくれてありがとう。

 

 宵部憂