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 何者でもない自分のこと、結局許せてなかったのはわたしだ。

 夏休み、昔々からずーーーーーっとそうだったけど、
 まだ何者でもない、まだ何にもなってない、これであってるのかな、って、
「やるべきこと」が無くなったら無くなったで途方に暮れて、
 選択肢の無限大さ、海のど真ん中みたいな自由さと掴みどころのなさ、果てしなさ、そういうものに打ちのめされて、泣き出してしまいたくなるような気持ちに、特に8月前半はいっつもなってた。

「夏休みだ! 休むぞわーーーい!」っていう気持ちでもなくなるし、
 友達に会いたいとか、いつもやるべきことがあった普段が恋しいとか、このひたすらな自由さが寂しくなってくるし、
 8月末にはわたしの誕生日も控えているし、
 夏の間に色々やって成長しよう、充実した夏休みを!的な話もよく聞くし、
 そういう話と自分の誕生日が重なって、「充実した人生過ごせてんのかな」みたいな。

 そんなレベルの哲学的な不安を、毎年毎年、ほんとに下手したら学齢期からずーーーーっと経験し続けてた。

 で、今も例によってそう。
 毎年8月前半は情緒がダメ。

 特に不登校になってから……10歳からはさ、
 わたしは「当たり前」のことが当たり前にできないっていうか、「その当たり前ほんとにそれでいいわけ?」みたいに疑ってかかるし、疑ってみて「やっぱそれじゃダメだよ!!!」って思ったら何がどうあっても絶対にテコでも動かん!!!みたいになっちゃうからさ、ってことが分かってからさ、

「ああわたし、当たり前のことが当たり前にできないなら、非凡に突き抜けないと」
 って思って、ずっと焦ってる。

 自分の中で……認めたくなかったけど、
 当たり前のこともできない、かといって目覚ましい成果を残しているわけでもない(偉大な功績を残したとか、経済的な自立をしているとか、誰かを助けているとか)人間って、やっぱりダメだよね、って思ってたみたい。
 口だけだし、どうせダメ人間だよね、って。
 わたしはそうなりたくないって思ってた。思ってきた。
 それでずっと頑張るんだけど、全然ダメ。
 それでずっと焦る。

 まだまだわたしの中にも、人や自分を裁く価値観ってたくさんあるのよね。
 全くなくなるわけがないって頭ではわかってたけど、やっぱちょっとショック。
 でも、気づけたら、手放そうとすることはできる。

 わたしは立派になりたいから、尚更、今何者でもないのが嫌で。
 立派になりたいっていうか、自分のこと立派だって思ってるから笑
 こんなに思慮深くて、聡くて、人間的に深い、色々気づいてる人間もなかなかいないわよ。みたいな。笑(深いって2回言ってる)

 わたしはこんなもんじゃない!!!ってなる時もあれば、
 わたし、こんなもんじゃないのになぁ……ってなるときもある。
 何が足りないんだろう、何か間違ってたかな、どうすればいいんだろう、って。

 そういう時こそ、すでに全部満ちている、って目で辺りを見回してみようかしら。

 ……そもそも、こういう精神状況の時求めがちな「何かになる」って、大体他人目線だしね。
 人生の豊かさって、本当は、自分の感情をいかに感じられたかと、自分の望みをいかに叶えられたかだろうから。

 それだけ、人は人にどう思われるかに晒されて生きているんだなあ。人はっていうか、わたしも。
 だから急に全くの「自由!!!!」になるとびっくりしちゃうんだろう。
「自由!!!!」な時こそ、自分に集中するチャンスなのにね。
 急に時間ができると、余計なこと考えちゃうもんなんだな。

 自分の感覚と感情のことだけ考えて生きないとな。
 うん。
 見失わず着実に。