「売る」ということの楽しみがやっとわかってきた気がするのだ。
これまでは「作る」ということへの楽しみがすごかった人間だけど、
「売る」ってことまで「楽しそう!」って思えるようになってきた。
要するにさ、作品についての愛を語れば良いんだよね!!!!
感情豊かに。
ワーーーーッッッッッ!!!!! って感じで!!!!
自分の感情を表現して良いんだ!!!!って思って、それがとっても楽しいの!!!!!
広めていきたいと思うんだ、わたしの愛を。
これまではちょっとまじめくさって語っちゃってたかもしれないけど、
これからは興奮気味にも告知・宣伝書いていきますから笑、
ついてきてね!!!!!!
わたしって実は死ぬほどパッションな人間だったっぽい。
自分でも忘れちゃう……っていうか、自覚なかったけど。
本当は感情豊かだったみたい。
ただ、それを取り澄ますことを人より早く学んでしまっただけで(小3ぐらいにはもう澄ましてた)。
本当は「ウェーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!」って感じの人間だったのかもしれねえ。
確かに、感情が昂ぶると曲作り出す人間が、パッションじゃないわけないか……
自分の作品だったら、自分がそれに込めた想いを語れば良い。
自分の作品を自分で売るんだったらね。
別に自分で必ずしも売らないといけないわけではない。
そういう場合は、でも、売ってくれる人……絵だったら画商さんとか、には、語る必要があると思うけど。そういうのだって、自然とできちゃうことだと思うから、肩肘張ってすることじゃないし。
自分が仕入れたもの、つまり人の作品を売るときは、その作品に対する自分の愛を語れば良い。
「ファンです!!!!!!」ってことだよね。
オタクの言葉で言ったら「布教」。
いかに自分がそれを好きなのか、どうして好きなのか、どうたまらないのか。
時に分析的に、時に情熱的に。
感情っていうのはエネルギーだからさ、
どんな言葉でも、言葉がボールだとしたら、振りかぶって回転をつけて飛ばさないと届かなくて、
感情っていうのがその速度とか振りかぶり方とか、そういうものになるんだと思う。
言葉に乗った感情が推進力になって、言葉が走る。
自分の作品にも、そうできるぐらいの愛があるはずなのに、どっかで抜いてるんだよ。
なんなんだろうこれ。
やっぱり、自分の作ったものを自分で語りまくることへの照れみたいなのがあるのかもしれない。
照れっていうか遠慮。
だって熱い自画自賛になっちゃうもんね。
でもちょっと違うよな。
自分が手掛けたものへの愛を語ることって、自画自賛とはちょっと違う。
自分で、他人から見てこの作品はいいと思う!って言っちゃったらそれは自画自賛で、「いやいや、お前が勝手に他人がどう思うかを決めつけんなよ」って顰蹙買うけど、
自分目線の話をするっていうのは、それとは全然違うことだよな。
「わたし」の思い入れを語る。
あとは単純に、自分の話をする練習が足りてないんだろうね。
自分の話なんてしちゃいけないと思ってた。
誰も興味ないって思って、話すこと=悪だとすら思ってた。
付き合わせちゃってごめんね、って思ってた。
まあ確かにわたしの推しの強さやパッションは、人を付き合わせ続けるとエネルギーヴァンパイアになってしまう。それは自覚できてよかったと思う。
でも、「わたしの話なんか興味ないよね、ごめんね」っていう基本スタンスはなんなんだ?
そもそもわたしの話に興味がなかったら、わたしと話してくれることそんなになくなるだろうに。
わたしと話したいって相手は言ってくれているから話してるのに、失礼な思い込みをしたもんだ……
だから最近は、ちょっとずつ、「こんなこと言ったら言い過ぎかな」とか、勝手に自分で検閲せずに、口に出してみている。
きつい言い方するってわけじゃなくて。でもなんか、うまく言えないけど、わたしの中で何かを喋る時に勝手に自分にはめていた枠っていうか、規制っていうのがあって。
それを、普段友達と話す時から、だんだん外していこうとしていっている。
それがブログとかにも効いてくるんじゃないかと思って。
自分の作品の話もさ、なかなかする機会がなかったの。
本当は語りたいことがいっぱいあるのかもしれない、あったのかもしれない。
でも、自分からそれを語って良い場所がなさすぎて、
「これを語りたい」って思う前から消えていってしまっているのかも。
でもそれはそれとして、「作品の良さは作品自体で語るから」っていうのもまた、わたしにとっての真理でもあるから。
作品自体で語る、作品自体の良さを、もっと鮮烈に届けられるように、
作品自体を見せ(聴かせ)つつ、売り込む、っていうのを、もっともっと練習したい。
そしてめっちゃすごい商人になりたい!!!!(えらく漠然としている)
セールスピッチ、プレゼン、上手い人めっちゃ憧れてたなそういえば!!!!!
学校に講演に来る人の話のうまさ、昔からめっちゃ厳しく審査してたもん!!!!笑
熱い想いが伝わってくる講演には、とても「おおっ」って思ってたし。
……ああ、そうか。
どんなに語ってもわかってもらえなかった昔のことも、引きずってたのかもな。
不登校時代のこと。
どんなに「こんなのおかしい」って言っても、周りが「学校に行くのは当たり前」「いかなかったら将来が……」としか返してくれなかったときのこと。
だから今も、何か声を大にして伝えようとすると、
その時が頭をよぎって、
言葉が出てこなくなるのかもしれない。
「どうせわかってもらえない」
って。
そうだね、だからわたしは、「わかってもらうためにやってるんじゃない。わたしがやりたいからやってるんだ」って言うようになっていった。
でも本当は伝えたいよ。
当たり前じゃん。
だからみんなに見えるところに書いてるの。
だったら、そんな昔の自分を癒すためにも。
もっともっと、話すの上手くなりたいな。
無理にわかりやすくするわけじゃない。
そこは、感情というか、言葉に込めるエネルギーで、色々突破できるものもあるのかもって今は思ってる。
理知的に話しすぎると、かえって持って回っているように聞こえるというか、ストレートに伝わらない。
伝わるように書くって、噛み砕いて説明するってことじゃないのかもしれない。
もっと感情豊かに書くことなのかも。
それだったら、わたしやりたいわ。
「わかりやすく」とか「伝わるように」って、噛み砕いて説明することだって思ってたから、「何でわたしがお前らに歩み寄ってやんなきゃいけねえんだよ、わたしがわかりにくいんじゃなくてお前がバカなんだよ、もっと考えろよ、大体他人のことなんて考えてもの書いてたら疲れるだろうがよ」とか思ってたんだけど、そもそもが違ってたかも。
感情豊かに!!!!
ちょっと練習していきます。
わたし、めっちゃ読んでて楽しい文章書くからさ、これからも応援よろしくね!!!!
宵部憂
追記:
そのためには、普段から感情豊かに生きないとね!
「あれしなきゃ」とか「これやらなきゃ」とか「こうでなくちゃ」みたいなことで頭がいっぱいだと、どんどん感情が無くなっていく。フラットになっていく。心が凝り固まっていく。
柔らかくて軽くて生き生きしてて温度があってプリッとしてる、元気な心でいたいな。
よーーーーーし!!!!! がんばるぞっっっっ