相手が友達ならいいんですけど、つまり信用できる相手ならいいんですけどね。
相手をつけ上がらせたくないからです。
そもそも、相手の意図もわかんないし。
こっちが喜ぶことによって向こうが増長したら面倒くさいなって思っているからです。
でも、それって受け取り下手っていうか、「わたしごときが何かしてもらっていいはずがない」と思うから、すごい感謝やお返しをしないといけないって思うから、喜ぶだけで相手に貸しを作っちゃうって思ってるんでしょうね。
もっと爽やかに受け取りたいな。
わたしがいつも応援している配信者の方が、スパチャをめちゃくちゃ爽やかに受け取るのが格好良くて格好良くて。
あっけらかんとしていて、投げた側も投げられた側も、いい意味で軽い気持ちなの。恩とか貸し借りとか、べちゃっとしてない。
そういう受け取り方をわたしもできるようになりたいな……
わたしが気持ちよく受け取ったら向こうも嬉しいってわかってるから、そもそもこんな悩み方をするわけなんですけど。
受け取れないからお返しをしなきゃ、でもそんなのしんどいからそもそもいらない、みたいな悩み方じゃなくて、
「受け取ったら相手が喜んだり誇らしげな気持ちになったりするから、それが嫌」って笑。
どんな悩み方だよ笑
それだけ善意に対しては喜んであげるという礼儀作法が染み付いていて、それがめんどいということなのかしら。うーん……
あるいは、
自分の中の埋まらない穴を、わたし(たまたまわたしだっただけ)や他の人に認めてもらったり喜んでもらったりすることで埋めようとしている人の自分を充足させる活動に手を貸したくない
ってことなのかしら。
「手を貸して」って言われたら喜んで手を貸したいんだけどね。
本人が無自覚なそれに手を貸したくない。
だってそれは美しくないから。
美しくないプロセスに手を貸したくない。
自分がそのプロセスの一部になりたくない。
そうだ、これな気がする……!
仕事をめっちゃ選んでしまう気質なのも、この信念のせいだ。
(「せい」って書いたけど、直す気とか全然ない笑)
太陽星座乙女座の、やべーレベルの頑固さと潔癖さ。美しさに対するこだわりのヤバさ。
そういうわたしの気質がありありと現れてる気がする。
ということがわかった上で、じゃあ爽やかに好意を受け取るにはどうしたらいいのかな。
相手が美しい気持ちでこっちに好意を投げてるかどうかなんてわかんないし、そんなの他人の領分だから、そもそも口を出すことではないよね。
だからわたしが意識というかやり方を変えれば、「爽やかに受け取る」は実現できるはずなんだ。
……わかった。これからやってみることを思いついた。
人の好意を、「そういうもの」として受け取るんだ。奇跡みたいなものじゃなくて。
「人はわたしに何かくれたりしてくれたりするものなんだな」って。
そして、「やってやったのに」的な雰囲気に対してはとにかくスルー。罪悪感も持たない。
情を、つまりベチャッとしたものを、自分の中に取り込まない。
そうすれば、向こうが承認欲求でやってても、それを満たさないという形で加担しないことになる。
何もくれるものの受け取り拒否までしなくても。
罪悪感とか負い目って、人の恨みとか僻みに取り憑かれるのりしろになっちゃうよね。今日スーパーからの帰り道に考えてた。
悪霊に悪さされるのって、自分が悪いわけでもないのに悪霊の恨みのこもった声に「ごめんなさい」って思っちゃうからなんじゃないかな、って。
でも、世の中の大抵の恨みって、本当は自分に向いているわけじゃないんだよね。っていうか、なんていうんだろう、本当は自分に向けられるべきじゃないもの。
恨みをぶつけてくる本人が、本当にぶつけたい相手にぶつけられないから、こっちに飛び火してるだけのもの。
それにそもそも、わたしに何かを(して)くれようとしたのはその人なわけで、その人の選択じゃあないですか。その人の勝手な好意なわけじゃないですか。
わたしがその人の気にいる返答をしなきゃいけない筋合いは全然ないよね。
相手が子どもならともかく、大人なら、自分の選択には自分で責任を持って、帰ってくるどんな反応も受け取ってね(もちろん嫌な気持ちになったり誰かに相談したりしてはいけないというわけではない)、っていうのが道理だよね。
はい。
また一つ練習することが増えました。
何か自分にとって嬉しい、誰かからの好意をいただいたときに、どんどん練習していこうと思います。
宵部