ヒーローって言葉に悲哀を感じる

ヒーローって言葉に悲哀を感じる

どうしてだろう

ヒーローになりたいけどなれなかったお話をよく聞くからだからだろうか
わたしにはヒーローが別にいないからだろうか

わたしの理想はお姫様で神秘の力を持っていて自分たちで星を守れるし優雅で高貴なセーラー戦士たちなので
ヒーローには別に憧れなかった

遊城十代が好きだけど
遊城十代には悪いが
わたしはあのキャラのヒーローな面やヒーローに憧れている面よりも
風の向くまま 気の向くまま な、旅人な面に惚れているので

そうだな

ヒーローというものの重圧に倒れてしまうとか
ヒーローになろうとしてなれなくて涙が溢れて
っていう話をよく聞くからかも

その健気さに胸が詰まってしまう
痛々しいと感じてしまうから

あとは努力とか挫けないこととヒーローは密接な結びつきがあると思うけど
わたしは努力や挫けないことができない人間だと自分のことをそう思い込んできたしそう言われてきたから
ヒーローの話を聞くのも嫌になったのかもしれない

わたしはさ辛いことやしんどいこと、つまり「試練」を「乗り越える」ことには別にエクスタシーを感じないからさ
あえてカタルシスじゃなくてエクスタシーと言ったけど
自分が生きる上でもそうだし、何かお話を読む時もそう

でもお話っていうのはそういう「試練→乗り越える」の部分がなきゃそりゃ盛り上がらないから、嫌ってわけでもないけどそんなに燃えることもなく、「まーそうなるわな」という感じで読んでる

そういう山場のシーンで「あーここでこのキャラに対する感情をこう描くのか、めっちゃグッとくるな」とかはあるんだけど

試練を乗り越える姿にはあんまり感情移入ができないし、したらしんどくて読めなくなってしまう

「なんでこんなしんどい思いしてそれを乗り越えなきゃいけないの? やめよーよもっと良い方法あるよ」ってなる。わたしの生き方は基本それだから

つまり必死に乗り越えようとしてる登場人物と考え方が違うので冷めた目線で見てしまう

非効率的なことしてんな、楽に、自分が1番好きで得意なやり方だけをやって結果出せば良いじゃん と

だから遊戯王は好きなのかもしれない

ライバルキャラも主人公たちも、もちろん葛藤を抱えてるキャラもいるけど、ゲームしてるとき楽しそうだから(まあ命がけの闇のゲームが「楽しい」みたいな、割と狂った意味での「楽しい」だけどさあ、いいじゃん清々しくて。歯を食いしばってるよりそっちの方がすごい好き)。
アニメではもっとストレートで、どのシリーズも(命懸けのものはともかく、でも時々命懸けであっても)殆どのキャラが「デュエルは楽しい」って言う
だから好きなんだろうな

あとは

ヒーローは孤独だから

個人としてではなくヒーローとしての力を頼られて
本当は寂しがっている

そういうイメージもある

少年の強がりというか

そうだね、わたしにとってヒーローは強がりの象徴なんだな

だから痛々しく感じるし、悲哀を感じるんだ

「弱虫なぼくだけど、ヒーローになりたい」って。

でもさ……
でもさ、
わたしはじゃあ君が弱虫なのは悪いことなの?って言いたくなっちゃうんだけどなあ。

カッコよくなりたいっていうのは素敵な願いだと思うよ、
でも、
「弱い」ことは、カッコ悪いことなの?

わたしはそうは思わない。

……うん、やっぱりわたしは遊戯王が好きだな。

だって武藤遊戯(表遊戯。物腰の柔らかい、普通の高校生の方)は、弱くて優しいまま、死ぬほど強くなるんだもん。
強くなるし、もともと強い(8年だっけ?かけてパズル解くとか普通にやばいしね)。

でも、いじめられっ子で、自分のことを弱いとも思っている。
闇遊戯に守ってもらってた面もある。

でも!
遊戯は、自分だけの強さを持っているし、
最終的にそれを磨き上げて、ものすんごく強くなった。
それは闇遊戯をはじめ、色んな出会いや別れのおかげでもあるけど、
遊戯自身の芯の強さもあると思う。

泰然自若としていて、物凄く心が広くて、でも自分の大切なものを脅かす存在は一切の容赦をせずに叩き潰す。

その、
自分の弱さから逃げて/逃げるために強くなったわけじゃないところとか、
何か役割に自分を当てはめていないところとか(遊戯は闇遊戯のような王様ではないし、遊城十代のようなヒーローという憧れもないし、不動遊星のようなみんなが期待している英雄や救世主っていうのとも違う。武藤遊戯は武藤遊戯。肩書きはないのに力を持っている)、
一切背伸びをしていないのにめちゃくちゃ強いっていうところに、
すっっっっごく憧れるし、すっっっっっごく好き。

だからやっぱり
「ヒーロー」には、「弱くちゃいけない」を感じて、ちょっと悲しくなっちゃう。

(遊城十代のヒーローへの憧れは弱さへの嫌悪ではないので、ちょっと別の話です。ただ無邪気な憧れで色々できてしまったからこそ問題が起きてとんでもない鬱展開になるって話なのですが、ここでは逸れるので割愛)

「弱い自分が嫌い」っていうのが根本にあると思うから。

……わたしはね、
やっぱりどうしても「自分が嫌いだから変えようと頑張る」ことが良いことだとは思えないよ。

自分を嫌いなまま、走らないでよ、お願いだから、って思うんだ。

「自分のここが嫌い」「〇〇な自分が嫌い」はさ、傷だと思うんだ。

その傷を看たり手当てしたり、手当てを頼んだりしないまま、走らないでよ、血が出てるじゃん、って思う。

自分のことを嫌いになってしまうって、とんでもない大事でさ。

ぜったい深い悲しみや絶望がそこにはギュッと圧縮されて入ってて。
その毒をまず吸い出して、傷の手当てをしなきゃいけない。
自己嫌悪や自己否定という毒を。

手当てについては、最近やっと言葉にできるようになったんだけど、

1.自分がそのとき感じた感情を、検閲せずに、「こんなこと思って何になるの」とかも言わずに、思い切り思わせてあげて、
2.思う存分それをしたら、本当はしたかったこと、したくなかったこと、言いたかったことを掴んであげて、
3.それを自分にやらせてあげる。やらなくていいよって、やりたくないことをやらない自分に許可を出して、他人がなんと言おうともNOを言う。本当に言いたかった人に、言葉を選ばず言いたいだけ言いたいように言わせてあげる。
Ex.これが全部終わったら、めっちゃエネルギー使って疲れてると思うから、めちゃくちゃ休む。休むというのは具体的には、何もせず、生産的なことを何もせず、人間としてやるべきことも何もしないぐらいの、ゴミクズみたいな自分すらもひたすらに許してあげる。永遠に、無限に、許してあげる。

これが、手当てなんじゃないかな。
これについてはまたいつかちゃんとブログで書くかも。

だからね……

自分が嫌いじゃなくてヒーローになったヒーローに、わたしはいつか、何かの作品か、現実でもそう思えるような人に出会ってみたら、また少しイメージは変わるのかもね。

弱くちゃダメだからってことでヒーローを目指さないでほしいいいいいい

そんな感じです。

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