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 この記事はわたしの気持ちを吐き出して「こういうことを確かに思ってるよ」「思ってたよ」っていうアーカイヴを作るために書くので、客観性は一旦度外視します。わたしの歪んだ世界観が赤裸々に描かれることになるのかも。でもそれがわたしには必要なので、わたしの独断と偏見であることをご了承の上お読みください。
 治安悪くなりますわ。ごめんあそばせ。
 さて、注意書き終わり。

 

 バカの方が、モテる。

 これは恋愛的な意味じゃなくて、なんだろ、結局人は御し難い人を求めてるじゃん。言うことを聞いてくれる人、面倒を起こさない人、都合の良い人を。

 でも、わたしは絶対にそういう人間にはなれないんだ。

 なぜなら、聡いから。
 気づいてしまうから。

 そして気づいてしまったら、その違和感を「そっとしておく」なんてことができないから。

 そうやって自分の倫理観や感覚を曲げるようなことをするのに、とんでもない苦痛と屈辱を感じるのね。

 これはもう小学生の時からそう。
 先生の言うことに従って、先生の言うことが正しいってことにした方が丸く治るし得だってこともわかってるけど、納得できないことがあるのにそれを納得できないって言わないで、納得したフリして、相手にもわたしは納得したんだって思われて物事が進んでいくのが、気持ち悪くて、醜悪で、耐えられない。
 だから学校でも、その課題をやること自体は良くても、その課題をやったことによって今の学校の体制に流されるような行動を意味しそうだったから、算数の課題の前で手が止まって、先生に「全くこの子は」みたいな顔で見下ろされたのをありありと思い出せる。
 そして先生が「全くこの子は」みたいな顔をすると、他の子もその態度を学習するんだよね。だから「あんな風にならないようにしよう」「何やってんだろあの子?」みたいになる。
 それだって屈辱だったよ。でも、それでも、納得したフリなんて嫌だった。
 間違っていることを間違っているって言えないのは嫌だった。

 だからさ、昨日のこの記事で↓

 何もできなくてもいいのかも、って思いには至ったけど、
「バカでもいい」には全然納得できなくてさ。

 だってわたし、バカじゃないんだもん。

 これは周りがバカだって言いたいわけじゃないんだけど、わたしは脳ミソの発達の仕方が人とちょっと違っててさ、言ってしまうとそれもあって、最近はそんなことないけど子ども時代はマジで同級生と話が合わなくて、誰も味方になってもらえねえよなこれってずっと思ってたのよね。
 誰にも共感してもらえなくて当たり前だったわけ。

 でも、「わたしは頭がいいからだ、おまえらはバカだから」みたいな発想にもならなくてさ(そんな感じになっても余計孤独になるだけじゃんか)(あと、驕るな、自分を特別だと思うな、みたいなことを親に言われたから)。周りに合わせよう、その方法を学ぼう、周りとうまく話せるようになろう、ってずっとやってきたんだよね。
 でもすっごく窮屈だったよ。

 なんか、誤解してる人いるみたいだけど、頭が良い人って、頭の良さをつまみひねって制御することなんて別にできないのよ。
 大は小を兼ねてないの。
 身長高い人が身長低い人の服を着られないのと同じ。

 だからずっとバカのふりしてきてて、それが窮屈だったの。ものすごく窮屈だった。

 だから今、昨日みたいに流石に疲れて読めないこともあるけど、
 難しい文章読んで、ちょっと苦労するけど「あれ!? あ、これってこういうこと!? スゲー!!!」って、パズルのピースがはまるみたいに読み解けた瞬間の快楽(マジで快楽物質出てると思う)と、学んだ内容を使えるかもしれないっていそいそメモを取る「STUDY」がたまらなく楽しくてさ。
 努力じゃなくて楽しくやってんの。たまに「努力」にしちゃうこともあるかもだけど、基本的に楽しいの、勉強すんのが。
 勉強するのが、っていうか、もっと厳密に細かく言うと(何かを好きでも、好きな部分は局所的、っていうのって、こういう物事を深く考えたり刺激をめっちゃ受け取る人間にはありがちだからさ)、歯応えのある文章を読み解くのがすごく気持ちいいわけ。その快楽のために読んでる笑

 でもさ、わかる、それって偉そうじゃん。
 わたしは自分が何を学んだかということで人にマウントを取るつもりは全然ないし、ただ自分が知ったことが「スゲー!!!」って興奮してたら話したくなっちゃうことはあるかもだけど、それも自慢する気持ちじゃ全然ないんだ。旅行楽しかったみたいなノリで話したい。

 勉強好きな人間ってどうしたらいいんすか?

 だからってさ、今の「理性」「客観性」「論理的」「学術的」と言われる概念に対しては疑問もあるの。疑問ばかりってわけではないけど。
 例えば直感を軽視するところ。例えば主観や個人の人生経験を軽視するところ。
 あと、「頭良い」人間にたまーにある、「頭いい人間ぶる」「文化人しぐさ」。何かに詳しい人間であることがステータスみたいなしぐさ。それはわたしも嫌なんだよね。
 でもさ、だからって、自分の頭の良さを過不足なく発揮したいわけよわたしは。そういう場所が欲しくてたまらないわけ。
 だってずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、窮屈だったから。

 大学一年生の時に参加したダイアローグ・ネクスト(←このサイトのアイキャッチ写真に、わたしも横顔がチラッと写ってます)は、そういうことをあまり気にせず話せて、当時のわたしとしてはセンセーショナルなぐらい楽な場所だったな……
 窮屈さもなければ、スノッブな人もいなくて(少なくともわたしの体感としては)

 っはー、だからさ、「何もできなくてもいいじゃん、バカでもいいじゃん、むしろバカだからうまくいく!」みたいなのには、全然諸手を挙げて乗り込めないっす。
 でも、「バカだからうまくいく!」の気楽さにだけは憧れる。バカじゃないだけで……。

 しかもこの「バカじゃない」はさ、別にそこにプライドを持ってるわけじゃなくてさ、わたしだってこんな頭に生まれたくなかったよ正直。だってうまくいかないことばっかだもん。でも持って生まれちゃったからには活かしてあげたいじゃん。なんかになるって思わなきゃやってらんないじゃん、だって捨てようとして捨てられるものじゃないから!!!!!!
 それを捨てようとすることは、自分を抑圧することなんだよ。

 たくさん考えたけど、やっぱりわたしはバカではないのねどう考えても。
 これまでの経験も、知能テスト(しかも人生3回も受けて3回とも)の結果も、人との関わりも、全部がそれを証明しちゃってる。

 だから受け入れたいし発揮したいんだよ。

 でも「頭良い人」「文化人しぐさ」の世界にもついていけない!!!!
 でも「バカでいいじゃん、バカだからこそうまくいく!」にもついていけない!!!!!

 わたし超はざまなの、どうしたらいいわけ。

「優秀」になりきることも(だってその「優秀」の価値基準にすら疑問を抱くから)、
「バカ」になりきることもできなくて、
 うわーーーーーーーんもうほんとにどうしたらいいわけ!!!!!!!???????

 頭良いバカになるしかねぇのか……
 優秀になることをすっぱりと諦めて、頭良いバカになるしか……

 そうすっとバカ世界に飛び込むことになるわけだが、「バカ同士!」という同志はほぼいなくなるだろう……なぜならわたしはメンタルはバカ(=気にしない、自分の思うままに生きていく)になりたいが、頭はバカじゃない(=気にしてしまう、考えてしまう、そしてそれをもう矯正なんかしたくない、自分の味だと思いたい)から……

 ……まあでも、わたしが孤独なのは今に始まったことではないんだけどね……ふふ……ふふふ……

 ああ、だからその辺の成分がカチッと合うような気がする友人のことを引き摺り回してしまうのか……(詳細はこの記事↓)

 なんか、急にエジソンの少年時代の話を思い出してかるーく実業家の幼少期について調べてみたけど、うん、これわたしも実業家にならんとアレなやつだな……
 彼らこそ頭良いバカっていうか。
 わたしのなりたい「突き抜け」はそれでさ。

 ……そのためには……やっぱり……孤独についてをもっと……なんだろう、頭で考えるというのとは違うけど、追究していく必要があるね。

 一人で走り続けんのは、やっぱきついわ。

 一つ一つの作業は、一人でやらなければいけないんだけれども。

 でも、同じ地平を走っているのが一人っていう感覚だと、本当に途方もなくてさ、
 もう誰とも出会えないんじゃないか、誰とも心を通わせあえないんじゃないかって思って悲しみに暮れてしまう。

 幸いにも、わたしはきっとこの人は似た道を走っているのかもって思える人が、よく振り返ってみるとそこそこいる。(わたしが勝手にそう感じているだけかもしれないし、引き摺り回しちゃいけないから、自分の主観であるということを念頭に置かないといかんけど)

 そういう人たちは、わたしが大変なのと同じように、それぞれが自分のことに邁進したり、切り結んだり、足掻いたり、悶えたり、考え込んだりしているから、手を結ぶことはできないかもしれないけど……
 でも、間違いなく同じ地平を歩いている。

 だから、時々話せたらいいな、とは、やっぱり思う。
 孤独に負けないように。

「時々」以上になってしまったら、やっぱり引き摺り回しちゃうから良くないけど(詳しくは語らないけど、最近あったことから学びました)

 孤独との付き合い方を、もっと追究していきたい。
 結局人を引き摺り回してしまうのも、普段の生活でわたしは孤独を感じすぎなのかもしれないから。
 もちろん、感じないようにすればいいとかそういうことじゃなくてね。
 ただ、わたしの孤独感が少しでも和らぐような、「頭良いバカ」の世界に、もっと普段から触れておけば、数少ない人に出会えた、その、飢えが急に満たされたことによる暴走っていうの? がなくなる気がするの。

 じゃあ具体的にどうしたらその「頭良いバカ」成分を普段から摂取できるんかは、まだちょっとよくわかんないけどさ……

 でも例えば、上に書いた「ダイアローグ・ネクスト」がわたしにとって心地よい場所だったなら、そこに答えが埋まっている感じはする。答えっていうか、少なくともヒントが。
 あれは、演劇祭「フェスティバル/トーキョー」の演目を見たり、あるいはそこに携わる方がしてくれるワークショップに参加したりして、それについてめちゃくちゃ話す、週に一回くらいを3ヶ月くらいその催しがあって、参加者のみんなにそれぐらいの頻度で会う、って感じだった。
 語る対象があることと、頻度。これは参考になるかもしれない。
 他にも場の作り方を非常に緻密に考え、してくださった講師の方やスタッフの方々がいたからこその空間だったわけだけど、うーんそこについて詳しく考えるのは追々かな。(わたしはあんまり場の作り方とか考えたくない、他人のために働くの疲れるから)

 

 っはーーーーー、息苦しいよ本当に。

 建物の中からなんてとっとと出て、まっさらな更地のどこまでも続いていくあったかい砂の上で、雲ひとつない空の下で、穏やかな風に吹かれながら、伸ばせる限りいっぱいに腕を伸ばしてくるくる回りながら言いたいこと言って叫びたいこと叫んで笑いたいように笑って歌いたければ歌って踊りたいよ。

 現実には引きこもり気質なんですけどね。エンジョイお家の中。お家の中でももっとエンジョイしたいしさぁ。

 世の中には建物(=組織的なもののメタファー)が多すぎんよな。
 お店とお家だけで良くねぇ?

 孤独に呑まれないような、大切な人たちとの接触の仕方も考えつつ、孤独を大事にする時間も今まで以上にうまく取って、充実させつつ、って感じだ。

 

 バカとかバカじゃないって話から居場所の話になったね。知ってた。

 居場所っていうか、それは固定的な居場所ですらない方がよくて、そう、砂漠を旅する旅人が、たまたま行き合って、一緒にご飯食べてキャンプして、ばいばい、っていう感じをやれたらいいな。

 ……風ノ旅ビトじゃん。やったことないけど。