わたしにはトラウマがあります。

 でもそのきっかけは、「幼少期から、親が不定期に癇癪を起こしてわたしに対して(だけじゃないですが)怒鳴ったり、大きな物音を立てて威圧的な態度を取ったり、無視したりしてきて、ほとぼりが冷めるといつものように戻る、というのが繰り返される」というもので、暴力を振るわれたり虐待された、というものではなかったため、ずっとわたしはそれを「トラウマ」と名付けることができないでいました。
 そのせいで、わたしはわたし自身をずっと虐待し続けていました。


 人が怖くて、いつ豹変して恐怖そのものになってしまうかわからない人間が恐くて、たぶんいつも緊張しています
 不機嫌だったり、イライラしていたりするのが分かる、もしくはその可能性がある(ように見える)人が近くにいると、よりいっそう落ち着かなくなります。
 これは、わたしに対する怒気や苛立ちでなくても関係なく、反射的に起きてしまう身体の反応です。
 そして、人から怒鳴られたり、敵意や怒気を向けられたりすると--パニックになります。


パニック」とは、便宜上そう呼んでいるだけで、「あれ」をどう説明すればいいのかずっと悩んできましたが、結局説明できません。
「あれ」は「あれ」です。
 パニック、恐慌状態、フラッシュバック、トラウマの再体験--といった客観的な言葉にしてしまうと、わたしの感じている主観的な大きすぎる恐怖は表現できなくなってしまうので(こんな用語を並べられてもわたしの恐怖が伝わってこないですよね)、難しいのです。

 その時のわたしがどうなるかも、客観的な説明になってしまうのですが、一応並べておくと、

・その場にうずくまって動けなくなる
・頭を抱え、目を瞑って耳を塞ぐ
・「ごめんなさい」しか口に出せなくなる
・もちろん泣きじゃくる
・近くにいる人、人の気配、視線、かけられる言葉、近づいてくる身体(手とか、一部でも)(わたしを案じたものでも。パニック状態でも言葉の意味は分かるので、そうだということは頭で分かっているのですが、でも恐いんです)など全てが恐くていっそうパニックになる
・その状態がたぶん短くても30分くらいは続く?(時間感覚がなくなっている上に、時間を確認する余裕がなくなるので、その「発作」がどれぐらい長いのかは自分でもよく分かりません)

 という感じです。

 この状態の時の恐怖があまりに大きくて耐え難いので、
 わたしはこういう状況にならないよう、常に自分にできることをしようとしています。


 つまり、

 人を怒らせないように「ちゃんと」しようとしたり(実際できているかはともかく)、
 人の顔色や気配を常に伺っていたり、
 他人がいるもしくは現れる可能性のある場所では、自分に危険が及ばないか常に警戒していたり、
 相手に合わせて話したり、

 こういうと軽い感じがしますがめちゃくちゃ負担がかかっています。

 上に書いたようなことは、単に「自分に自信がないから」などでそうなってしまっているのとは違います。

 気持ち的には命懸けです。

 わたしにとって、「パニック」状態に陥ることは、命の危険レベルに恐ろしいことなのです。

 また、上に書き出したようなことでは、正直わたしの生き方に染み付いてしまった回避行動(トラウマを受けた後、トラウマを想起させるような物事を避けること)はカバーし切れていないと思います。

 生き方レベル、無意識レベルにこの危険を回避する行動が最優先事項としてプログラムされているので、自覚もできないところでわたしは回避行動をとっていて、今はそれをいろいろ自覚してきている最中なんです。

 人が怖いので、誰かと親密な関係を築くのに苦労します

 というかそもそも、あまり人と親密になりたいと思うことができません。

 それ以上に「疲れる」と思ってしまいます。

 でも、本当はそんなこと思いたくありません。

 友情や友人関係を心地よく思えるようになりたいのに……

 一人でいるのが一番安全だと思っています。

 いやもちろん、一緒にいて心地よいな、とか、話しててたのしーい!と思える友人はいますよ!(友人各位安心してくれ!!!)

 ただ、友人関係や親密な人間関係に対してすごく負担を感じてしまうのが嫌だなぁと思っているということです。

 あまりこういうことを自己診断してしまうのはよく無いのですが、
 あくまで目安(?)(わたしの状態を説明しやすくするために、イメージしてもらいやすくするために)として言うと、

 PTSD(C-PTSD) トラウマ
 回避性パーソナリティ障害

 に重なるところがありそうだな、と考えています。

 昔は不安障害と診断されたこともありました。
 まあ、不安ではあります。いつ「パニック」状態になってしまうのか常に不安なので……

「パニック」というとパニック障害が連想されると思うのですが、
 わたしの「パニック」にはトラウマのフラッシュバックというきっかけがあるので、パニック障害とは少し違うかな、と思っています。

 もちろん今書いたことは全て素人の判断なので、あくまで自分の状態について考える参考程度として考えています。

 精神科にかかる気は……正直、高校時代に通院していたことがあるのですが、かなり……めちゃくちゃ……あんまりアレ(極めて曖昧な表現)だったので、今のところまだちょっと、かかる気はないかなって感じです。

 そもそも、トラウマを早く克服したい!って思うのもそれはそれで回避行動な気がするんですよ……

 前まではもちろんそう思ってたんですよ、早く克服したいって。

 ……でも、ちゃんと「こわかった」「それだけ傷付いたんだ」ってこともまともに取り合ってあげてないまま、「トラウマを克服したい!」って昔のわたしは思ってたんで。

 それってめちゃくちゃひどくないですか?

「トラウマトラウマ騒いでうるさい、おまえなんか消えてしまえ」って、
 インナーチャイルドだか真我(ハイヤーセルフ)だか子宮だかイド(エス)だか、
 とにかく「本当に自分の言いたいこと」であり「過去の救いきれなかった小さなわたし」に対して、
 そんなひどいこと言ってるのと同じだと思うんですよ。

 そんなことはもうしたくないので、焦るのはやめておこうと思っています。

「こんなこと」でトラウマだって言うの、正直未だに怖いです。

 でも、きっかけがどんなものであれ、
 わたしの身体はそれをトラウマとして保存してしまって、
 そのせいでわたしは色々人生大変なので、これはトラウマとして充分と思っています。

 今まで、このことは、正面切っては誰にも話せませんでした

 ブログにも過去に何度か書いたことはあるのですが、あまり自分で書いていても手応えがなかったことを考えると、
 ちゃんとトラウマと名付けて向き合いきれていなかったのだと思います。

 まだどこかで、「ま、そうは言ってもね、大丈夫だから」という、過去の自分に対して不誠実な強がりがびっしり張り付いていたことでしょう。

 思考の癖、生き方の癖とは厄介なもので、「怒られるのが恐い、ものすごく恐い」というのが自分の根幹に関わる部分だとは、人生の中で何回も気づいていながら、
 その度に気づかないフリをしたり、
 強がってやり過ごしたり、
 別のことに意識を向けたり、ということを繰り返してきたので、
 もういい加減辞めたくてこのブログを書きました。

 でも、また繰り返してしまうんじゃないかとは思います。

 こういうのはたぶん、何か劇的に変わるというものではきっとありません。
 一歩一歩、自分の足を止めながら、思考の癖、生き方の癖に流されないようにしていくしかないのです。

 わたしはもう自分の本心を裏切りたくありません。

 どんなにカッコ悪いわたしになっても、今度こそ、この子を守りたいです。

 たぶんこの決意表明、あの子はかけらも信用してないんですけど。

 でも、その気持ちは当然ですよね。

 わたし、こんなにもあの子を裏切ってきたので。

 行動で示すしかありません。

 最後まで読んでいただいてありがとうございました。

補足

 念のため書いておくと、両親はちゃんとわたしのことを愛してくれてたし応援してくれてたしくれてるなあって思っています。

 このブログに書いたようなことをわたしが感じているからと言って、両親に対しての感謝とか愛情とかも、別に無くなったり嘘だったことになったりしません。

 わたしのトラウマは、わたしの問題なので、親の責任だとは思いません。

 たまたま、巡り合わせで、わたしは今こういう状況にある。
 それだけです。
 誰が悪いとかじゃない。

 自分の心と身体のことなので、自分しかどうにもできないのですから。

 それに、親には自分のために生きて欲しいので……。
 わたしめちゃくちゃ良くしてもらってるなあと思うからこそ。
 そんな感じです。

 愛されているけど、めっちゃ傷付いた。

 っていう認知的不協和に、わたしは長いこと耐えられなくて、それでトラウマを軽視していた部分も絶対あります。

 でもやっと、この不協和、矛盾してるけど矛盾してない、ってことを受け入れられるくらい大人になったので!

 今までとは違うことになれば、いいなあ……と思っています。

今度こそ本当に終わりです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!