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 めっちゃテンパってしまって、ブログ連投しちゃってごめんなさい。
 でも多分、このテンパりは、学校が始まったことによるシールドブレイクなんだと思います。

 夏休みが長いことあって、自分のところに情報がやってくる生活を営めるようになって、情緒がだいぶ安定していたのですが、
 学校が始まったことで前のテンパりやすい自分に意識が戻ってしまったみたいで、とにかくグラグラしていました。

 考え方を変えるとかそういうレベルじゃなく、身体も心も頭も問答無用でパニック状態になってしまうのです。しんどかったぁ。

 ということで、計算してみた感じ単位も十分取り切れているので、後期は普通の授業は取らず自分の制作に集中しようと思います。
 はぁ、もう、本当に辛かった……

 本当に時間がないのかも分からず、とにかく身体が率先してパニックになり、ノイズな思考をたくさん生成しまくって撒き散らすのです。ううううう。
 怖いパニックじゃなくて焦る方のパニックです。こっちもこっちで病的な気がしてきた。

 わたしにとって学校という場所はそれだけ緊張する場所で、それは今までの自分がそういう風に捉えてきたから、その名残で勝手にここまで緊張するようになってるみたいなので、なかなか変えられないのです。自分というものが安定するまでは。
 だから触れる機会を減らすのが一番落ち着くんだろうなと思います。
 落ち着きがなきゃ、冷静に考えて冷静に発言すれば受け止めてもらえるだろうことも、下手をすると無意な攻撃を呼びかねません。だから落ち着くことは何より大事なんです。

 学校という場所は、刺激が多すぎて、わたしを過覚醒状態にします。
 もっとシンプルに考えられたらいいのに、情報が多すぎて無理です。パンクして、「自分」がものすごく希釈されます。
 色んなことを吸収しすぎるせいで、勝手に考えなきゃいけないことがどんどん増えるし、「最低限こうじゃなきゃいけないんじゃないか」っていうラインをガンガン上げて警戒してまうんです。だから何をするにもすごく緊張するし疲れてしまって……
 でもそのラインを下げたらいいって言われても、自分じゃその最低限ラインが過剰に上がってることにも気づけないんです。ああもう……
 それに、最低限ラインを下げたところで、考えなきゃいけないことがポコポコ増えてそれをシンプルにする術も忘れてる状態だと、結局動くのが辛くて無理、ってなるわけで。
 あるいは、その場に自分を適応させようとしすぎてパンクします。合わせなくっていいんだって頭ではわかるけど、全自動です。もうやだ。
 うううううう。

 もっと成長したら、学校という場所で上り詰めてみたいんですが。(この記事参照↓)

https://shobuwi.com/「学校」への拗ねとトラウマを、乗り越えられる/

 世界と自分が、小説と自分みたいに相対していて、だからわたしのところにやってくる出来事は世界がわたしに対して発しているメッセージなんだって思える、こういう俯瞰した視点が、わたしには必要です。

 世界はわたしを取り巻いていて、わたしは自分の周囲にあるあらゆる怖いものに脅かされないようにしなければならない、っていう世界観になってしまうと、パニック一直線だし、回避行動最優先の行動パターンに陥ってしまいます。
 近頃はこれになりかけていました。そりゃ気分が悪いわけだ。

 このパニック状態で何かをしても、それは大体怒られないため、脅かされないため、不安や焦りをなんとか消そうとしてのもがきでしかないので、前進しないことが多いです。当然、行動を起こそうとしてもやる気なんて起きないどころか、「泣くほどやりたくない」みたいな状態になります。
 昨日一昨日は、「自己肯定感が底辺に行ってる」とか言っていましたが、それもこの状況を表していたのかもしれません。

 自分が世界を支配し操作しているのではなく、世界に取り囲まれている感覚……これになってしまうと危険です。
 わたしは身を守ろうと、必死で鎧を着、顔色を伺い、認められようとし、力を尽くそうとしてしまいます。
 そんなことをしていると、霊感や夢は枯れ、自分を見せる勇気もしぼんでしまいます。

 自分以外のあらゆるもの、つまり「世界」とは、対話をするものであって、
 わたしは「世界」に生かしておいてもらうために頑張らなきゃいけないなんてことはないはずなのに。
 どこかでそっちのスイッチが入ってしまうことがあるみたいです。
 だからやっぱり、環境って大事なんですね。

 対話をするものであって、顔色を伺うものじゃない、っていうのは、今「世界」と言いましたが、そんな抽象的な概念だけでなく、実際の人とだってそうです。
 親、先生、友達、わたしには今はいないけど恋人、家族や親族、偉い誰か、そのほか周りの人……
 みーんな、対話をするもの、つまり何かを伝えることができる相手であって、
 顔色を伺わないといけない相手ではないはずなんです。

 伝えることが大事ですよね。
 伝えたら、確実に何かが進むし、「言えた!」っていう気持ちよさが湧くわけですから。

 ちょっと、明日は心地よく引きこもって、気持ちを整えようかなと思います。

 卒制を発表する前なんだから、みんな緊張して当然、っていうのはあると思うんですけど、このパニック状態は流石におかしいレベルかもしれません。ちょっとドキドキするとかじゃなくて、深く物を考えることができなかったり、朝目が覚めると「なんで何もせずに寝たんだ」って心臓がバクバクしてたまらなくなったり、自暴自棄になって叫んで暴れて内側から爆発しちゃいたくなるレベルだったりするんです。これはやばい。
 一息入れる必要があります。

 この状態になると、当然ですが自分が何をしたいのかも分からなくなっています。それどころじゃないので。
 食う・寝る・出すの三大欲求についてがわかるぐらいです。

 

 どんな気持ちでするかによって、物事の効率は全然変わると思います。
 これはわたしも今までの歩みで確信したので揺らぎません。

 今までやってこなかったことでパニックになっているなら、何かをやればいい、って、言われてきましたが、
 実際はそうではなく、
「本当は積み重ねてきたことがあるにもかかわらずその全てが意識から消えてしまい、参照できなくなり、思い出せなくなり、意識できなくなり、自信を持てなくなり、十分やってるのに全然自分はやってないと自分を責め出し、理性的な思考が全くできなくなっている」状態がわたしのパニックなので、無理に動かないほうがいいんだってことがわかりました。

 ちゃんと思い出せば、結構な蓄積がわたしの中にはあるんですね。ただ普段蓄積のためと思ってなくて吸収してるものとかも多いので、そういうものが特に見えなくなってしまうんです。
 冷静な時は思い出す力が強い(=記憶力が高い)のに、この状態になると何も思い出せなくなってしまうんです。
 自分が過去にやってきたことも全部無意味もしくは大したことがないってことにしてしまいます。
 やってきたことやできることや持ってるものや既にあるものではなく、できてないことや持っていないものや今はないものにばかり目が向いて自分を責めまくります。
 とにかく「自分はダメ」「自分は足りていない」と焦りのパニックが先に来て、その前提で全部判断するので、あらゆる時に自分を責めまくります。常に自分を責めます。
 とにかく正気じゃないってことです。
 だから辛いんです。

 頭で考えれば、自分にもできたことあるとか、自分にしかない持ち味があるとか、わかるはわかるんですけど、身体と心と頭の大部分はパニックなので感情がついてこなかったりします。
 うーん、病的。
 これは動かないほうがいいやつ。下手に動くとやばいやつ。

 何かやれば着実に成果が出るものならともかく、クリエイティブなものは、こうした「正気じゃない」状態の時に何かしたとしても、ボツにせざるを得なくなることも多々あります。

 やっぱり、精神状態を整えることは大事ってことです。

 

 ああもう、本当に辛かったよう……!!!!!!!!
 ちょっとおやすみしよ……

 

 何かをしなくちゃと思うことが、すごく辛いです。
 早くこの状態抜け出したいよう……
 卒制の日の前に抜け出してから、準備して、卒制の日を迎えることもきっとできる気がする。

 抜け出し方がわかったら最高だな。