なんかすごい、今自分の中でしくしくしてるっていうかさぁ。
ごめんなさいって思うのね。
無欲に生まれられなくてごめんなさい、
どうしても突き抜けたくてちょっとしたことで窮屈を感じちゃってごめんなさい、
普通に生きられなくてごめんなさい、
当たり前のことができなくてごめんなさい、
できることなんて全然ないのに、夢ばっかり大きくてごめんなさい、
って。
わたしは強欲な人間なの。
足りない、足りない、全然足りない。
もっともっと豊かになりたい。
もっともっといろんなことを知りたい。
もっともっといろんなことやってみたい。
もっともっとやったことあることを増やしたい。
欲しいもの、諦められないもの、数え切れないぐらいある。多分際限はない。
自分のことをすごく無力だって感じていたのも、ほんとは、
この強欲さに見合う、自分が期待するほどの体力や、正攻法で手に入れるための強さがわたしにはなかったからだと思う。
たださ、わたしはそれが正攻法は自分の身体に合ってなかったってことなんだ、ってこともわかってて。
正攻法って、学校とかで言われる正攻法ね。努力によって身を立てるやつ。
わたし、努力だと思って努力したことなんてない。
楽しい努力が一番効率的だと思ってる。
だから、なんとかして楽しむための、飽きないための、その努力をすること自体を嫌いにならないための工夫と努力なら、ずっとしてきた。
だから人生だってそうやって生きてくだけ、だと思うけど。
まだちょっと、うまくいくのかどうかは自信が足りない。
だってまた実践しきれてないから。
今までのはきっと準備運動。
海じゃなくてビニールプールでちゃぷちゃぷしてた。
きっとここからは、海で波に乗るみたいに、今より桁違いの不安とか、寄る辺なさ、地図のなさに揉まれることになるんだろうな。
そんな時でも、自分を見失っちゃいけない。
腐らずに現実見て、その現実から理想に羽ばたくための方法も誤らず、飛んでいかなくては。
あれ、海なのか空なのかよくわかんないけど。
でも、ペンギンは海の中を飛ぶし、他の鳥は空を泳いでいるわけで。
わたし、本当はずっとアウトサイダーとか、旅人とか、寄る辺ない存在に憧れてた。
開拓者精神とか、やたら占いで言われるのも、そういうことなんだと思う。
もちろん、寄る辺があるからこそ、寄る辺によって、わたしは育まれてきた。
そしていつか人は、そこを離れ、冒険して、自分の寄る辺を作り、その場所でまた何かを育む(子どもとは限らなくてもいい)もののはずだから。
地面を離れて、離陸する時が来てるんだなぁって思う。その、揺らぎだ。
きっとこんな気持ちは今しか味わえないから、じっくり一緒にいてあげるつもり。この淡い気持ちと。
