今までとは違う気持ちで曲を作っていこうとしていて、気づくことがある。とても感覚的なことになるけど、これを忘れないように書き留めておこうと思う。

 

 わたしの今までの音楽の内向的さは、「大事なものだから触らないで」とか、自分の感情の、繊細すぎる瓶詰めだった、というのもあるが、
 やっぱり、必死で自分の格好つかなさや不器用さや拙さや不出来さを隠そうとしているのが、音にしっかり表れていた。

 なんというか、そう、速度がないのだ。
 大声を出せていない感じがあった。
 それこそが今までのわたしの持ち味でもあったと思うけど、内緒話みたいだった。
 舞台で出す声の出し方じゃないような感じ。

 もちろん、実際に録音で歌う時の声は普通に歌う時の発声なのだが、そういうことではなく、喩えとして、
 自分の音をはっきりと打ち鳴らすのが怖くて、もにょもにょっとしていた気がする。
 その「もにょもにょ」の内側に耳を澄ますと、結構よくできているのだが、外に向かって訴えかける力が弱いと言えばいいのか……
 強度はあっても速度はない。そんな感じだった。

 要するに、自信がないのだろう。
 批判が怖いのだろう。

 精神性や思想においてなら、「何を言われたってその人の意見で、わたしはわたしに従う」という軸が確立できつつあるが、
 音楽に関してはそこがまだ固まっていなかったのだ。

 

 わたしは、楽譜が苦手で楽器がまともに弾けないことを、未だに気にしている。

 わたしが「神じゃん」と崇めるコンポーザーも、半分以上はそういう人だってのに。

 単純に、わたしが自分の音楽に自信を持てない理由を、楽譜や楽器が苦手なことに求めているだけなのだ。

 

 録音した自分の声を初めて聴く時、
 写真に映った自分を初めて見る時、
 自分の文章を初めて読み返す時、

 聴き慣れない、見慣れないから、ものすごく拒絶反応が起きることがある。
「こんなの自分じゃない」、「こんなの全然いいと思えない」って、隠そうとする。

 声や写真や文章での表現を「聴く・見る側」として好きで、理想や憧れがあればあるほど、その傾向が強くなる気もする。
 理想や憧れと自分があまりに違うことに愕然とする。

 でも、それって単純に自分のことを知らないというだけなのだ。

 自分と憧れの対象はどうしようもなく別の存在であって、外側だけ真似ても憧れにはなれないということ、
 でも、だからこそ憧れを真似したってオリジナルにしかならないということ、
 憧れと似ていないことは欠点ではないということ、
 今は凡庸で拙く思える自分でも、磨いていけばいずれ、憧れと肩を並べるようなオリジナルになれるということ、
 を、分かればいいだけなのだ。

 わたしは声や文章は慣れたが、まだまだ容姿と音楽については慣れが浅いということだと思う。

 そういえば確かに、わたしは自分の文章がいまいちカッコよくないことに悩んだ時期があったような気がするし、
 声に関してはずっと悩んできた。
 わたしは青春時代、メタルやロックが大好きで(今も大好き)、でも同時に合唱もやっていて、「綺麗な声〜」と言われるのに非常に複雑な気持ちを持っていたのだ。もっと力強い、魂が伝わる声がよかった……とか思っていた。
 その悩みは、気付いたらなくなっていた。

 ……そんなもんなのだろう。

 

 だから、恥じらいを捨てねばならない。

 それが「わたし」で舞台に立つということなのだ。

 

 今日、曲を作ろうとして、
 頭の中に理想があって、それを実現しようとしたが、自分の手癖というか、「これがいい!」「これが気持ちいい!」と思える方法でその理想を実現する術がなく、「あ、この理想は嘘だな」ってわかった。

 Ana Roxanneに憧れて、アンビエント系を作ろうと思っていたのだが、
 いつかどうなるかはわからないが、今のわたしにとってはアンビエントを聴くことはともかく、作ることは快楽ではなかったらしい。
 あるいは、グラニュラーシンセシスで音から作ろうとしていたのが間違っていたのもあるだろう……

 ひるがえって、わたしはドラムの音が好きだ。
 ベースの音も好きだ。
 ドラムの音を聞いているだけでヨダレが出てくる。
 ベースラインを作るのも大好きだ。
 そしてキック(バスドラム)の音とベースのシナジーを追求するのもたまらん。
 この2パートを考えているだけでご飯15杯ぐらいいけそう……というのを今年1月ぐらいにツイートした気もするが、今でもバリバリそんな感じだ。
 アンビエントや器楽系(いわゆるクラシック音楽の系譜にあるもの)を作るのにどうも食指が剥かないのは、このいわゆるリズム隊が居ないジャンルだからかもしれない……気分ややり方にもよるだろうけど。

 でも、やろうとしてたことが全く間違ってたわけでもないとも思う。
 一から音を作ろうとしたのが間違いだった。わたしの欲しい音はシンセじゃ作れない。
 もうちょっとちゃんと探してみようと思う。

 

 とりとめもなくなったけど、音楽作るのが嫌にならないように、困ったときはいちいち自分にその嫌さの中身を問い合わせる必要がある。
 頑張り方を間違えているだけで、曲を作ること自体はわたしの喜びのはずだから。

 なまじ音楽とは長年の付き合いなので、「こうしなければならない」「こう在らなければならない」という思い込みもいっぱいわたしの身体の中に蓄積している。

 そう、だってまさに、絶不調でメンタルギリギリ、身体もボロボロのフラフラ、自分にとって必要のない・むしろ害になる・自分の身体に合っていない情報をいっぱい吸収してしまう……みたいな状態の時に、音楽や、音楽を将来やっていきたいという夢で自分を支えて生きてきたので、
 そりゃ、音楽に関しても「自分にとって必要のない・むしろ害になる・自分の身体に合っていない情報」をたくさん仕入れてしまうのは当たり前だ。
 だから、毒を抜いていかなければならない。

 たぶん、ずっと書けなくて悩んでいる長編小説に関しても、似たようなメカニズムが作用しているんだろう。
「こうしなきゃいけない」「こうじゃなきゃいけない」が、多分いっぱい積み重なっているはずだ。

 自分のままで、自分の中の全てを出し尽くし、表現し、生きていく、というやり方には、自己対話が何よりも大事だし、基礎にして全てと言われるゆえんはここにある。

 気を取り直して作曲に戻ってみる。