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 わたしのセカンドアルバム「哀と傷」は、ファーストアルバム「愛と情」に比べてそこまで売れませんでした。
 発売当時、つまり「初動は」ね。
 今は再販中なので、これからわたしの売り方の腕の見せ所ってわけです。

 今なら、その理由が自分で良くわかります。

 当時のわたしは、結局自分の傷にしっかりと向き合えていなかったのだということに。

↑このブログを書くまでね。

 実際、心に抱えているモヤモヤや闇や苦しみは、歌として世に出し、まして商品として売り出してしまうと、どこか浄化されたようになります。それ自体は当然のことで、何も間違っていません。

 ただ、当時のわたしは、その程度の、一時的な、まだまだ哀しみや傷には底があるのに上澄みだけが浄化された程度の癒しで、満足してしまったのです。

 だから、それ以上売ろうとしなかった。自分の作品を広めようとしなかった。そういうことなのでしょう。

 でも、その気持ちもすごく良くわかって。

 自分で自分を癒せるという経験を、わたしは「愛と情」「哀と傷」という姉妹作を作ったときに初めて味わったのです。

 初めてだったから、その大きさが、今となっては全然物足りないものでも、満足できた。
 そういうことだったのでしょう。

 でも今のわたしは、自分の苦しみや傷がそれほど浅いものでは無かったことを知っているし、
 自分の哀しみがもっと鮮烈であることを知っているし、
 自分を癒すためにはもっともっと大きな愛が必要だと知っています。

 わたしは、ちょっとした愛や希望があれば、それを大切にして生きていけるような、そんな健気な女ではありません。

 自分を絶望させる全てを焼き尽くしたいし、自分の受けた傷を全てお金に替えたいのです。

 哀しみについて歌うことは、わたしにとって、聴いた全ての人を「泣いていいよ」って抱きしめることです。

 わたし自身もそうだったからわかります。
 人は、自分の哀しみを、この世にある全ての哀しみの中で最も軽いものだと思っている。
 そうとしか思えないとき、それこそが、自分で自分を愛せていない証拠なのです。

 逆に、思いきり哀しみに浸れる時間というのは、それだけ自分で自分を抱きしめてあげられている時間だということです。
 だからわたしも、涙が出るとき、不思議にホッとするのだと思います。

 でも、自分の哀しみを抑えて、苦しみを我慢して、傷を忘れようとすることが自然になってしまっていたら、なかなか自分のために泣くことなんて出来なくなる、これが現代人には多く起きていることだと思います。

 そして音楽は、そんな人々に、安心して自分の感情に浸れる時間を与えられるという、とても重要な役割を持った芸術です。

 だから、わたしは歌いました。

 哀しみについて。理不尽について。恐怖について。消えたいという感情について。天国への思慕について。別れについて。希望について。祈りについて。

 わたしの歌を、あなたの人生の守護にしてください。

 あなたの心を、哀しみを、わたしは、わたしの歌は、絶対に守ります。

「そんなことぐらいで」なんて言う声を、少なくともわたしの歌が響いている間だけは、あるいは口ずさんでいる間だけは、わたしの歌が消し去ります。

 あなたがあなたとして生き続けるために、そして輝くために、わたしの歌を連れていってください。

アルバム「哀と傷」
CD版 税込3,000円→https://shobuwi.booth.pm/items/2227049
DL版 税込2,000円→https://wishobu.bandcamp.com/album/sorrow-and-wounds
注意事項:
宵部が手ずから梱包して発送しますので、神経質な方はご注文をお控えください。
ノークレーム・ノーリターンでお願い致します。

もう、あなたの哀しみを誰にも(あなた自身にも)軽んじさせないから。

宵部