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 10歳の時、わたしは一度死んだ。

 世界の誰もがわたしの敵に見えて、
 誰もがわたしを否定し、
 誰もがわたしに注文をつけているかのように思えて、
 わたしは「うるさい!!!!!!」って耳を塞いでうずくまった。
 それでも、「閉じこもってちゃダメだよ」「閉じこもっちゃダメだよ」とすら言われるようで、何もかもがうるさくて、何もかもが怖かった。

 味方なんていないって思った。
 じゃあ、どうしたらいいんだろうって。

 他人が全て敵に見えたから、信じられるのは自分だけだったの。
 頼りにするのは自分だけ。
 わたしが従うのは自分だけ。
 わたしの帰る場所はわたしだけ。

 他人には他人の都合があるからね。

 否定の言葉や「こうあれ」という言葉ばかりが聞こえる気がして、
 耳を塞いだ時。

「そんなにいろんなこと言われても、わたしはそんなことできないし、
 したくないよ!!!!!!」

 って、
 そして「そんな自分じゃダメなのかなあ」って思った時。

 思ったの。

「じゃあ、生きていくのやめるの?」
「じゃあ、『わたし』でいることをやめるの?」

 そう自問自答した時。

「やめないよ!」

 って、何もかも突き破って、お腹の底から声が聞こえた。

「どいつもこいつも、自分に都合の良いことばかり言いやがって!!!!」
「じゃあてめえはこっちに要求してくるだけのことを自分でやってんのか!!!!!」
「なんであたしがてめえの要望に従わなきゃなんねえんだよ!!!!」
「それでてめえ責任とれんのか!!!!!」
「あたしの生の責任が取れるのかって訊いてんだよ!!!!」
「それであたしはこんなに傷ついて、悲しんで、抑うつになったわけだが!?!?!?!?」
「お前らの言うことなんか聞いてられっか!!!!!!」

「あたしはあたしにしか従わない!!!!!!」

 そして、わたしは宵部庭国の女帝になりました。

 と言っても、10歳から建国まで、長いこといっぱい色々揺れたり迷ったりもしてきたし、「これでいいのかな?」を繰り返してきたし、その度に立ち止まったり戻っちゃったりしたこともあると思う。
 でも、やっぱりわたしはわたしにしか従いたくないんだ。

 そしてね、別に他人のせいじゃないことも、もうわかってる。
「自分に何か要求してくる他人」なんて、わたしの幻想でしかないってこと。

「気にしなきゃいい」の意味が、今ならよくわかるよ。
 うるさい他人なんて、とっとと自分の世界から消せばいい。
 だって、その人はわたしに何があっても責任とってくれないから。

 他人の人生の責任なんて取れないよ。取れるわけがない。
 それに、取っちゃいけない。それは依存への第一歩だよ。人を依存させる。

 だから、わたしはわたしの声に従っていけばいい。
 なのに時々不安になってしまうけど。
 まあでも、今は、自分をズラさない人を精神的メンター(一方的に知ってる笑)にできてるからマシなんだ。
 それでも、最後は自分の声、自分が掴んだ答えじゃないと、わたしは納得できないから、
 ……「自分にしか従わない」を徹底できる、ある意味恵まれた体質なのかも。

「人はいつか死ぬ」って知ったときから、
 年中さんのときに、ママもパパもいつかは死ぬって知ってご飯の時間に大号泣して、それから自分もいつか死ぬってことに気づいて怖くなってから、
 わたしは「生きるってなんだろう」って考え出していたのかもしれない。

 だから、生きるってなんだろうってことの答えを出すのに、何にも役に立たないことばっかり言う周りの大人が、浅く感じてしょうがなかった。

 生きるって何か。
 どう生きたら、わたしは納得できるのか。

 一度どん底まで落ちてみて、わたしはその答えに気づいたんだろうね。

「自分に従うこと」。
「自分だけに従うこと」。

 だから自分で答えを見つけたいし、自分で答えを探したい。

 それで見つけた答えは人に話したくなるの。
 だからブログにいっぱい書く。

 いつも考えてるから、気づくことも多くてね。
 わたしはブログ魔神かもしれないわ。

 わたしはだから、見えない話が大好きで、
 哲学的で内面的で、深いけどすぐには実益につながらない話が好きだから、
 でも、そんなわたしの話ってつまらないかなあって気にしてたんだ。
 昔からずっとね。

 でも、もしかしたらわたしは話す相手が違ってただけで、
 こういう話好きな人っていっぱいいるよね?
 だって、わたしがとっても好きだから!

 こういう、生き方とかの話をしてくれる人を探して、ブログとか読むの好きになったぐらいだもん。

 だから、わたしもきっと、居場所になれる。哲学好きの居場所。生き方を考えている人々への居場所。

 人生は、「何で?」の連続。
 自分が納得できる答えは、最終的には自分しか出せないけど、
 何かピンとくる人からヒントをもらうことはできる。

 わたしも、誰かのヒントになれますように。

 そんな、経営者で哲学者なわたしでした。

宵部憂