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 押し殺してるつもりも、蓋をしてるつもりもないんだけどさ、
 時々、っていうか進んでいてつまずくことがあるたびに、子ども時代のことを思い出して、とてもひどい精神状態になる。

 でもね、この精神状態って、側から見たら鬱々としていて避けたほうがいいものに見えるのかもしれないけど、
 ごまかして見て見ぬ振りしちゃいけなくて、
 ちゃんと自分で自分に寄り添ってあげなきゃいけない時間なんだよね。

 そうだったね、辛かったんだねーーーー………………
 って、心の底から言ってあげられるのはわたし自身だけなんだよ。
 他の誰に言われようが、それで腹が膨れるわけじゃないし空虚じゃない?
 慰める気があるんならカフェオレ一杯ご馳走してくれいの気持ち。

(いやホント、しんどい時に、余計なこと何も言わず静かにカフェオレ奢ってくれる人の存在ってまじでやばいっす。五臓六腑に染み渡ります)

 わたしを癒すのはわたしの役割だからさ。
 友人や恋人やお医者さんやカウンセラーさんや家族やその他もろもろ周囲の力を借りたとしても、それは助けを借りるのであって、自分を癒すのは自分の役目だからさ。

 自分を癒すには、肝心の自分が、しんどさを自覚しないのはダメで。
 見て見ぬ振りしてるのと同じことだからね。

 でもさ、癒されてないから、傷ついてるからって、進んじゃいけないわけじゃない。
 むしろ、進むことで、自分がまだ癒されてないってことに気が付く。
 進まなかったら気づけない傷がいっぱいある。
 だから、気づいた時にちゃんと悲しめれば、悲しめばそれでいいんだ。

 なんか、あることをきっかけに、「あ、わたしって昔からめっちゃ傷ついてたじゃん」とか、「めっちゃ頑張ってたじゃん」ということがすごく湧き上がってきて。
 あんまり自分が傷ついてたとか頑張ってたっていう自覚がなかったからさ。
「あ、こんなにヤバかったの!?!?!?」ってなってる。

 き、気づいといてよかったぁ。
 自分の状況を知らないまま、ボロボロなのに無茶させるということが今後、今までよりかは起こらないと思う。

(よく考えたらぼんやりと「しにたい」を抱えたまま10年以上生きていて、とんでもないトラウマ級の恐怖を抱えたまま20年生きてきた段階でやばいって話なんだけど……
 でもそういうのが無重力化されてたんだって。
 そしてこれからもしていきたい)

 自分のことを知れることは、とっても嬉しいし、興味深いし、これだから人生って楽しいなって思います。

 それはそれとしてどよ〜んって感じなので、今日は静かに過ごします〜✌️

 

 宵部憂