自分を2つに分けて(厳密には2つじゃないけど)、
小さいわたしを、今の大人になった身体を持った、お姉さんのわたしがお世話する、っていうイメージなら、なんとか自分をケアし続けて生きていける……かな。
やってみなきゃ分からないけど。
厳密には2つじゃない、と言ったのは、「大人になったお姉さんのわたし」の内側には、生きていくうちに気づいたら身につけてしまった自己規制がたくさん染み付いているからなんだ。
それはお母さんやお父さんや偉い誰かや、「この人に失望されたくない」って思ってしまった人……一部の友達とか、の、幻影も含んでいる。
それは幻影なんだよね。
わたしが勝手にそういうものだと思い込んで、そういうものとして自分の身体に、内側に取り込んでしまったもの。
本人とは、まあ関係はあるけど「きっかけ」に過ぎなくて、そいつは幻影に過ぎないの。
腹話術みたいに、その人の声ってことにして自己規制を「言わせてるだけ」。
その幻影たちが第3のわたし。
大人の、お姉さんのわたしが、小さなわたしを大切にするために、振り払うべきものたち。
わたしは最近までずっと傷ついて強がるしかなかった子どもそのものだったけど、やっと大人になれたかな。
自分で自分を守るってことの意味が分かるくらいには。
自分が自分の親になるって意味が分かるくらいには。
そう、最近話してないけど仲良い友だちが、ずっと言ってた(なんて本の内容だったっけ…)、「自分で自分の親になる」って意味、やっと分かった気がする。
例えば髪を乾かすとき、自分の愛しい娘に対してどんな手つきをするかなって想像して、優しく触ったり。
例えばあの子が疲れたと主張したとき、甘い飲み物を飲んでゆっくりしようって勧めてみたりとか。
他人に対して、それも心から大切に思っている他人に対して、わたしはどう接するかなって考えて、
わたし行動や手つきに愛情を込めるのは苦手じゃないと思うからさ。
それを全部自分にやるんだ、って分かった。
わたしレベルになると「自分で自分を」とか言ってるうちは何にもポイントが掴めてなくて、
「大切な他人に接するように」「愛しい人に接するように」ってして初めて分かるもんなんだ。
根深かったなー。
ほんとうの、自分とは別の人間としてのお母さんやお父さんに、
もちろん自分の本心を伝えることは大事だけど、
でも彼らは別の人間だから、自分の思うように動いてなんてくれないし、
自分の思うように動かそうとしたらダメだし、
そんなことしたって満たされないと思う。
自分の中の幻影はうるさいままだから。
他人がどれだけ尽くしてくれたとしても。
自分の理想の親には自分がなればいいんだよね。
あの子が「お母さん」っていうとき、それはわたしのことを指しているのであって、本当のわたしの母のことを指してるわけじゃない。
あの子が言う「お母さん、あのね」は、わたしに対して言ってる。
他の誰でもなく。
わたしが一応女だから、あの子は「お母さん」って呼んでいるんだ。
いや分からんけど。男だったとしても「お母さん」かもしれんけど。
昔から生理が辛くて、
あとあんまり自分のことを女性だと思えなくて、
なんで子宮らへんの、女性の生殖器持って生まれて来ちゃったんだろうって最近ずっと思ってたんだけど、
ここに関してだけ言うと、持っててよかったかもしんない。
胎(はら)から溢れる愛情ってどういうものなのか、わたし知ってるからさ。
それであの子を包んであげられるんだよね。
これは、生理でお腹痛いとき、「痛いねえ、お腹痛いね……」って自分で自分に話しかけながら、保健室とか自宅のベッドであったかくして自分で自分のお腹をさすりながら丸まっていた経験があるからこそだと思ってる。
あれが多分、胎からの愛なんだよ。
それが分かって、生理とかじゃなくても、いつでもその愛を自分に注げるようになったとき……
それはなんか、絶対スゲーことが起こる気がする。
あのパワー、神秘、半端じゃないからね。
いつもあの子に優しくしたいと思ってるわたしの声を聞く。