いまちょっと悲しい気持ちなので、悲しい気持ちを書きます。
わたしは人からの連絡にすぐにレスポンスを返すことができないことがある。特に畏まった文章を書かねばならない時に。
常識的な言葉遣いができているかとか、このニュアンスを表すのがこの言葉でいいのかとか、なまじっか細部まで気づいてしまうゆえに、怒られるのが怖いゆえに、考えるのがとんでもなく面倒なのだ。
「ちゃんとした言葉を使わないと嫌われる」ので。
(かと思えば即時レスポンスできることもあるんだけど。そこは本当に調子次第)(とはいえそういう言葉周りについては、今までトラブルになったことはない。親しい間柄にも礼儀正しすぎて硬いと言われたことはあるが)
他にも忘れ物がなくならないわ失くし物を自分じゃぜんぜん見つけられないわ時間や期限を守れないわ(守るようにめっちゃ気をつけてるけど、たぶん気を抜いてると守れない)ケアレスミスがなくならないわ、たくさん確認してもミスを無くそうと一応めっちゃ頑張ってるのに一向に減らないわで、まー頼り甲斐のある人間ではないですね。とてもじゃないけど。
でもわざとやってるわけじゃないし、無くそうと自分なりに頑張ってるんですよう!
でもそうすると身体と心がクソほどしんどいんですよう!
朝起きてから夜寝るまでずーっっと車運転してるみたいな緊張感なんですよう! 車の免許持ってないからわかんないけど!
あるいは常に何かの実技試験受けてる感じって言ったらいいかな!!
困ったことに、ポンコツな部分を出すまいとすると常に気を張っていなければならないのだが、気を張っていたとしても結局失敗はなくならないので、自信をなくすし恨みが溜まっていく。
「なんでわたしばっかりこんな、誰に認めてもらえるわけでもなく(努力しているようには見えない)、得をするわけでもなく(頑張ってやっと人並みになれる程度であり、というか人並みにもなれない)、楽しいわけでもない(当たり前である)努力を一生続けなければならないわけ???」
「わたしが何をしたっていうわけ????」
「は? 薬とか飲むかバーカ、わたしはわたしのままで生きてやんよかかってこいや(外界に対する漠然とした不信感や敵愾心)」
そのまま拗ねていくと、
「もういいもん。誰も助けてくれないもん。一人でだって生きてやるもん。一人で生きるにはどうしたらいいんだろう。強くなりたい。力が欲しい。お金が欲しい。支配し返してやるんだ。復讐してやる。今に見てろコンチクショー!」
……みたいに闇落ち状態になる。
わたしのいつものパターンである。客観的に言葉にして読むとほんと漫画みたいだ。
で、それでいっそのこと強くなれればいいのだが(いや別によくない)、自分で言うのもなんだけどわたしって根が優しい良い子なので、誰かに寄り添ったり相談に乗ったりしてその誰かがちょっと楽になったり元気になったりやる気を出してくれたりすると心がふわっとあったかくなっちゃうし自分もなんか活力をもらえちゃって幸せな気持ちでその日眠れる、みたいな人間なので、殺傷能力ゼロのヒーラーにしかなれない。
最近はそんなヒーラーな自分を気に入ってきたし、それは今も揺らいでいないけれど、悲しいものは悲しいし闇落ちするときはするのである。
人は成長するものかもしれないけど、わたしは成長しないし変わらない。
成長しようと、人に迷惑をかけない一人前の人間になろうと頑張ってきたけど、結局心を病んだだけだった。
残ったのは、不甲斐無い自分自身と誰も助けてくれない世界に対する失望感だけ。
(それがすごく偏った見方だったのは今はもう気づいてるけどね、たまに落ち込むとそこに戻っちゃうこともあるって話)
だから、わたしがこのまんま、なんのストレス(身体と心に悪いストレスね)も感じずに生きていける環境を自分の周りに作るしか、パターンから抜け出す方法はもうないのである。
いや〜、もうわたし対世界みたいなスタンスで生きるのはほんとやだ。
例えば、
自分の思いつきをすぐに形にできて、何時間でも好きなだけやり続けられて、やめたいときにやめられて取り掛かりたいときに取り掛かれて、それで生きていけるような環境とかどう。最高じゃないっすか?
どうせ生きていかなければならないし、この悲しみも恨みもなくならないのなら、毎日好きなようにやり続けて天寿を全うしなきゃ割りに合わない。
というか、このままループを繰り返して恨みを溜め込んで生きていたら、いつか爆発して病気になったり(すでに鬱とかパニックとかにはなったけど)、一番最悪なパターンとしては犯罪を起こしたりしてしまうかも。
いやいやいや、そんなことになるくらいなら、好き勝手やったほうがむしろ迷惑にならないって。
ちょっと話がそれるけど、犯罪って全然他人事じゃないと思う。誰だって抑圧した感情を溜め込めばみんな犯罪者になっちゃうと思うから。
溜め込む感情は別になんでも関係なくって。
なんでかっていうと、感情を抑圧すると、初めはそれが愛だったとしても、悲しみだったとしても怒りでも、それどころか喜びや嬉しさでも、抑圧されたってだけで全部恨みに変わるから。
抑圧された恨みがどうっていうか、抑圧された感情は全部恨みなんだと思う。
だから、ちゃんと消化できなかった感情が溜まれば溜まるほど、自分や他人を攻撃する。呪う。祟る。
そんなの、ことの大小はあれどそもそも日常生活で起きてるし。
嫌味とか、妬みとか、陰口とか、仲間はずれとか、いじめとか、嫌がらせとか、虐待とか、犯罪とか。ことの重大さっていうのは確かに違うだろうけど、メカニズムは一緒なんじゃないの、とか思う。
……でも、環境に迫られて感情を「抑圧させられた」と言えるのと同時に、自分自身で「抑圧した」とも言えるっちゃ言える。いや、それは自分が悪いとかっていうよりかは、自分自身にも打てる手立てはあるということ。
その一環で、わたしはここに感情を吐き出しているということなのです。
悲しい、ふざけんな、恨みが溜まる、やってられっか、好きにやらしてもらうわよ、って、ほんとうは言いたいのにうまく言えなかったことを、ここでちゃんと言葉にしてみてる。
……ほんとうは一番聞いてほしい相手に、父に、言った方がいいのかもしれないけど、ちょっと勇気が出ない。
父を悪いやつにしたいんじゃなくて、ただ、聞いてほしいのは彼だからってだけ。でも、やっぱりちょっとね、怖い。
「やってもできないんだよ」って言って、「やろうとしないだけでしょ」って言われたのが忘れられなくてさ。
もう過去のことで、引きずってるのはきっとわたしだけなんだと思うけど。だいぶショックだったから。もう頼るもんか、助けなんか求めるもんかと思った。その時に怒り返せずに、「やっぱりそうなんだ、わたし頑張りが足りなかったんだ」って思っちゃった自分にも腹が立つし。
ほんとにできなかったんだよ、おとうさん。
ほんとにほんとに、いっぱい頑張ったんだよ。そうは見えなかったかもしれないけど。正しい努力じゃなかったかもしれないけど。
もう疲れちゃったよ。
おとうさんだって色々頑張ってきたんだろうからさ、わたしにできないはずないし、できないって言うのはぜいたくだと思うかもしれないけど、でもそのぜいたくはもう時代的に仕方のないことだから諦めて。
ぜいたくしたいから時代って進歩するわけじゃんか。ぜいたくって偉大だと思うよ。
だからわたしのバカなところは、きっと時代を進歩させるんだよ。
それをおとうさんに見せるから、見てて。
さて、話を戻すけれども、つまり自由に生きていこうとすることはわたしの治療なのだ。この恨みをきちんと成仏(?)させるための。
そうしなければわたし自身を含め、周りにいる色んな人の心や身体や命が危ない。なんて、大げさかもしれないけど思っている。
わたしはまともな人間になんてなれないし、まして立派な社会人になんてなれない。それでも毎日楽しく生きていきたい。
夢みたいなことを現実にしたい。
今すぐにじゃなくてももちろんいいし、その過程も自分のペースで自分に無理ないようにじゃないと意味がないから、焦らずに、「普通」にとらわれずに。今までの「無理」をいちいち疑って確かめて。
ってか、それぐらい願う権利、誰にだってあるでしょう。
えっ、あってくれなきゃ困る。
今なに時代よ?
