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 もういつだったかも分からない頃に、わたしは「かわいいわたし」を諦めてた。

 わたし、可愛くない。女の子っぽくないし。モテないし。甘えたり守られたりとか、むしろ嫌だし。甘えさせたいし守りたい方だし。強い方がいいし。
 とか、拗ねて強がってた。

 でも、最近はちゃんと思えるかも。
 誰に評価されなくても、わたしはかわいいんです。

 人にモテるとか、モテないとか、教室とテレビと本と人づての情報でしか経験してない知識で何を言ってんだよ、って感じだわ、そう言えば。
 それで恋愛とか人間とか自分らしさとか愛情の何が分かるんだろうって。
 自分の経験の中で学んだことが、自分にとってはすべてなのに(だから)さ。

 愛されたいし、目立ちたいし、ちやほやされたいし、無視されたくないよね。
「自分は愛されて当然なのに、なんで?」って思う。
 なんか急に邪険に扱われて、「なんで?」って混乱するから、焦って「かわいいって言われそうな自分」になろうと頑張る。

 でも統計学的に「かわいい」って言われる要素を集めて自分に貼り付けてくとさ、すっごくグロテスクになる。美しさとか慕わしさに法則なんてないんだから当たり前。
 そんなのAIにやらせればいいじゃん、AIって統計と学習が得意らしいじゃん(素人知識)。

 周りの人の態度とか言葉を根拠に、「わたしは愛されて当然」を変える必要なかったんだよ。
 もともとはちゃんと、自分が愛されるべき存在だってこと知ってたんだよ。邪険に扱われて傷ついたってことは。
 っていうか、誰だって傷つくよね。
 それは誰だってその「当然」を知ってるからなんだと思う。

 ただ場所が違っただけ。たまたま居たのが咲けない環境だったんだよ。それで、わたしたちは、自分が望めば限りなんてなく、咲ける場所に、咲きたい場所に自分で行くことができるし、むしろゼロからそういう場所を作り出すこともできる。

 変えるべきは自分じゃなくて環境なんだろうなと。孟母三遷みたいな。
 だって自分って変えられねーし。人って変われないもんだし。

 現代にはインターネッツがあります。はっぴーばーすでー。
 だから多分、自分が自分のままでいて愛されて当然な環境を、自分のブログなりサイトなりで誰でも作れるんじゃないかな?と思って、ここで実験してるわけです。
「わたし、ここにいまーす!」「わたし、これがわたしでーす!」を叫べば誰かには届くわけで、それが積もり積もれば、自分を愛してくれる人たちのコミュニティもできちゃう、みたいな、そういうことしてる人いっぱいいるじゃない? だからわたしにもできるかも、って。

 ネットじゃ誰だって注目を得る権利があるかなって。教室みたいに閉鎖機で画一的な場所じゃないし、本とかテレビよりずっと自由な情報と言説に溢れてて、それはもういろぉんな人がた~くさんいる。だからこそヤなこともあるかもしれないけど、いいとこ取りはできるんですよきっと、自分がいいとこ取りするのを自分に許しさえすれば。
 ネットでいいとこ取りするって単に、自分にとって都合の悪い情報を入れないこと、信じないこと、自分の心地いいものにだけ触れること、これだけじゃない?

 というわけで、これを読んだ、かわいくなりたいあなたは、このページ閉じたらブログを始めてみませんか(ダイマ)(誤用)(回し者じゃないよ!)。
 あるいは、今やってるSNSでええかっこしいするのを辞めてみるチャレンジとか、いかがですか……うぐ……いかがですか…………ういも今めっちゃがんばってます……ついしそうになる……自分の体調とか感覚とかに嘘つきそうになる……タスクが終わってないと浮上しちゃダメかなとか思っちゃうし……こんなこと言っても大丈夫かなとかおもんないんじゃないかとか……自分に正直ってクッソ怖い……でもがんばってゆ……一緒にがんばろぅ……ういとみんなはズッ友だょ……

 わたしももっと自分のこと知りたいし愛したいし、知ってほしいし愛されたいし、ちやほやされたいです。
 しましょう。されましょう。

「愛されたい」って、「この世界に存在していたい」と同じ意味だと思ってます。

 ういでした。