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 子宮推命は四柱推命の流派の一つ--だと思ってるんだけど、
 四柱推命には十二運勢という、西洋占星術でいうところの十二星座みたいな、個性やこの世に持って生まれてきた役割を表す星がある。

わたしの簡易命式表↑ 超恥ずかしいけど乗っけてみる。

【絶】【健禄】【帝旺】っていうのが、わたしが持ってる十二運勢ね。
 わたしはこの三つの星の性質を兼ね備えてるんだけど。

【絶】っていうのは、状態で言うと死んであの世でふよふよしている魂みたいなことらしくて、不定形なんだって。
 だからこの星を持っている人は、めちゃくちゃ気まぐれだったり、情緒不安定だったりする。変幻自在な天才、みたいな個性として現れる人もいれば、感情の振り幅が大きい激情家でもある。
 とにかく掴みどころがなく、「これ」という決まった形がなく、いつも動き回っていて、人を振り回す、形を持たないエネルギーそのものの状態。

 ……って、最近ぐだぐだ悩んで書いたブログ↓もさ、自分の中のこういう、不安定すぎる部分に自分が一番振り回されてるんですけどー!!!! そして人も振り回したくないから怖いんですけどーーーー!!!!! っていう愚痴だったんだよね。

 あとさ、だから、自分でも自分がコントロールなんてできるわけないししようとすればその途端に窮屈で仕方なくなるのが分かっているから、
 夢を一歩ずつ着実に目指すのとか、(「コツコツと」ってやつ)
 新しいことを初めてみるのとか、
 それに対するハードルがとんでもなく高いんだ、ってことがわかった。

 それは、この記事↓でも書いた假屋舞さんの「子宮推命で知るわたしのこと」の自立心についての講座がきっかけで、よくわかった。

 大きな夢を叶えるためにはさ、そりゃ、小さな夢、それも「これってちょっとできそうにないかも」みたいなことを成功させていって、自信を積み上げていくしかない、って、やっと目が覚めたっていうか。
 実際めちゃくちゃ大きな夢をたくさん叶えている假屋舞さんの言葉なら、すっと入ってきたの笑

 今まではね、わたし、大きな夢を思い描いても、そこに至るまでの道のりで無理をしすぎて疲れてしまって、夢を追いかけることが辛い、ってことが多かったから、「無理しない」に舵を切ったんだけど、そうしたらどう頑張っていいかわかんなくなってた。

 成功経験は積んでないわけじゃないけど、大体勝算のあることばかりやって、予想通り成功してただけだったから、あんまり、自信がつくような経験ってなくて。

 かといって、自信がつくようなことしようと思ったら、めっちゃ無理しなきゃいけないって思ってたんだ。

 到底そんなことできるわけないって、いつからか諦めようとしちゃってた。

 でもさ、わたしは【絶】--気まぐれで、不定形で、自分が一番困るぐらい振り幅が大きくて、どこに転がってっちゃうのか全然自分でもわかんない、そんな自分だから、こつこつ夢を目指すなんて無理なんだ、なんて、諦めるんじゃなくて。
 かといって、そんな気まぐれで、約束が嫌いで、予測不能な自分を責めるわけでもなくて。

 上手く付き合いながら、自分の成し遂げたいことを成し遂げられたら、それは、とんでもない成功経験になると思う。

 そしてわたしは、これからは、その「わたしなりのこつこつ」を探していくときなんだ。

「わたしなりのこつこつ」は、夢と共に生きること。

 

 とはいえ、そもそもわたしは「本腰入れて、やるぞ!!!!!」みたいに意気込まなくても、テストに例えたら80点ぐらいは(よっぽど苦手な科目じゃない限り)取れる人間だった。
 だからこそ、「本腰入れて、やるぞ!!!!」という状況を重く考えすぎている説は非常にある。
 積み重ねるったって、毎日100点取るつもりでいたら死ぬじゃん。
 80点や、60点や、40点を積み重ねれば良いんだよね。
 ついつい、100点取れなきゃダメ!!!!って思いがちだった。
 そりゃ、疲れてやりたくなくなっちゃうよなぁ。

 あとは、【絶】らしく、集中力にものすごい波があり、集中できている時の作業効率を基準に考えてしまうところがあるので、「今日はなんかちょっと集中できないなぁ……」っていうときに必要以上に落ち込むっていうのがあります。これね、よくないよな。
 わたしは特に高校までの勉強では「あんまり勉強しなくても勉強できる天才タイプ」みたいな感じだったんだけど(自分で言ってて超恥ずかしい)、それはだいたいこの集中の波が来てる時にすごい頭に入るからで、その波の時しか勉強しないから結果的にそうなるだけなんです。
 この波は、これからもサーフィンして行かないといけないやつです。
 波が高い時も、低い時も、自分の夢とか叶えたいことと共に過ごせると良いよなあ。

 わたしは自分のことを努力できないって思いがちなんですが、それも多分、わたしの中に「あの集中の波が来てる状態の時の作業効率出せない時は何もしてないのと同じ」っていう価値観があるからなんだよな。
 でも、集中の波ってわたしが頑張って入れるものでもないっていうのが、実際のところで。
 何の拍子に大きな気づきがあって物事が前に進むかは、こればっかりは、予測なんてできない。
 予測できないから不安になって、イライラして、思い通りに行かない自分を責めちゃうんだけど。
 努力自体は、多分常にしてるんだよな。
 わたしの中では「あの作業効率出せなきゃ何もしてないのと同じ」という、高すぎる基準があるだけで。
 ……まあーあと、正直努力しただけじゃしょうがないじゃんって思ってるからってのもあるし。
 いい加減、「こんなに努力したんだからわたしは大丈夫!」っていうタイプの自信も持てるようになった方がいいのかもしれない。

 波がいつやってくるか、気づきがいつやってくるかなんて分からないから、10点、20点でもいいから積み重ねていくこと。
 ……でもそれは、多分呼吸みたいに自然とわたしはやってることでもあって。
 え、じゃあ、それを評価して、見えるようにしてあげることが大事、なのかな。
 自分の地道な努力を一個一個認めてあげて、果報を待つこと、ってことなのか。

 そうやって、諦めず、かといって自分に鞭をうたず、一歩一歩踏み締めた結果起きる何かを受け止めること。
 うん、しばらくはなんか、そうやってやってみたいな。

 波をコントロールしようとせず、身を任せ、目の前のことを一個ずつ淡々と。
 踏み締めた足跡のムラも、許してあげる。

 

 わたしは無駄なことが嫌いな効率厨なので、高校までの学校の勉強(やればそこそこ面白いけど好きかって言われるとうーん別に……)は、一回で、できるだけ無駄な時間使わずできるように集中の波が来てる時だけやってたけど(授業内容ほぼ全部覚えてる→テスト前教科書パラパラして思い出す→忘れてたところはああこうだったかって思い出しとく→以上)、
 今わたしがやってることってどれも好きなことだから、無駄とか関係なく、それと一緒にあることを楽しめる気がするし、楽しんでも一向にかまわんわけよね。効率最優先する理由が、よく考えたら全然なかったわ。

 向かいたい方向のことを考えたらそりゃ、停滞なのかもしれないことも、楽しいもんね。
 例えば卒制でずっと迷っていたって、そのためにしてた勉強って何かの身にはなってる気がするっていうか、新しいことを知れるという快楽はあるわけだもん。卒制じゃなくても他のネタにはなりそうだし。
 みたいな。
 そもそもそれを勉強すること自体は面白いからね(一度にいっぱいやんなきゃ!とか思わなければ)。
 あと、そうやって締め切りあることで行き詰まった時にどうしたらいいのかってことも、現在進行形で学べてるし。良い経験、楽しい思い出なんだよな。とてもドキドキするけどさ。

 その行動自体を好きになれれば、波があっても、良い気持ちで続けられる……のかもしれない。

  しかしまあ、集中の波の低い部分にいるとき、自分を嫌いにならないことが、とりあえず差し当たっての課題だな……

 

 何度も言うけど、わたしがわたしに一番振り回されてる。
 でも、もうそんなわたしのこと、叱りつけたりはしないし、どうせあんたには無理って言ったりもしないよ。

 波に寄り添った続け方を知りたい。
「あれ、今日は気分が乗らない? じゃあこうしてみよっか」
 っていう工夫を、いーーーーーっぱい身につけていきたいな。