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 なーんか、グサっと来ないなって思ってたんだよね。

 わたし、これをやってます!!!って、ガツンって来ないっていうかさ。

 自分の中心を穿つものが無いなって、ずっと思ってたの。

 だからなんか馬力が出ないっていうか。

 わたしにとって歌は手段なんだよね。
 歌や芸術は、いや、ブログだって手段。
 生み出すものは全部手段。

 じゃあその手段を使って何をしたいのか。
 祈りたい、癒したい、感情を感じたい、やりたいこと全部やりたい、
 そうなんだけど、そうなんだけど!!!!

 何について???
 何について祈りたいの、癒したいの、感じたいの、やりたいこと全部やりたいの、
 その真ん中が全然わかんなかった。

 だから活動もどこへ向かっていくのかわからなかった。

 もっと有名になりたかったし影響力も拡散力も欲しいよ、でも、わたしはそれに足る「何か」が自分に足りないことはわかっていた。
 それこそがその「中心」。

 わたしはわたしの奥底に眠っているタブーを思い出した。

「自分の食い扶持を自分で稼げない大人になってはならない」。

「ちゃんと現実的に稼げる人間じゃないといけない」。

 まだ、全然決着がついていないこと。

 だからわたしは影響力が欲しかったしお金が欲しかった。それでずっと焦り続けている。

「人として当たり前」のことができなくても、トンデモ我儘娘でも、経済的に自立できてれば何も言われないっていう感覚があるし、
 わたしだってもちろん、人の世話になるのはふつーに嫌。自分が惨めになる。

 どんなに色んなことを考えても、色んなことに気付いても、自分の食い扶持を自分で稼げなかったら聞いてもらえない。そんな感覚もある。

 わたしにとってのタブーは、無職であり、ニートだ。
 自分以外の無職やニートの人を見下したり裁いたりした覚えはないし、むしろ擁護することで希望を託していた部分もある。
「社会復帰」なんて簡単にしないでくれ、「社会復帰」だけが希望ある未来であってたまるか、こんな病んだ社会に何で出ていかなくちゃいけないんだ、そんなもんに価値なんて見出せねえんだよこっちはよ、って。
 そんなことのために生きてるわけじゃない。
 人の生き様をそんなこと呼ばわりするつもりはないけど、ひたすらにわたしの好みじゃない。

 でも、わたしはずっとずっと考えてたし、自分なりに頑張り続けていた。
 特技:不登校で、みんなと同じことや人から言われたことをやるのがすごく嫌で、人に合わせて自分も動かないといけないのがすごく嫌で、納得できないことは絶対にやりたくないし、自分が認めてない年上の人が自分より上の立場ってことになっているのも許せない(同年代なら同年代だし浅くてもしょうがないかみたいな感じで許せるんだけど。年上風吹かされると、年上風吹かせる割にそして実際年上のくせにお前まだそのレベルのこと言ってんのかよそんなの誰にでも言えるしこっちはとっくにその考えには至っててその次の話をしてんだよ今まで何考えて生きてきたんだよ小学生からやり直せよとか思っちゃう。クソ性悪)、
 そんなわたしでも自分の食い扶持を自分で稼いで生きていく方法を探さなきゃ、見つけなきゃ、稼げるようにがんばらなきゃ、って、ずーーーーーーーーーーーーーーーっと、10歳のときから12年間ずーーーーーーーーーーーーーーーーっと頑張ってきたの。

 だから、疲れちゃったのかなあ。

 もう就活も院進も考えられなかった。
 将来のことを考えるのにも疲れちゃった。
 今までの人生にも疲れちゃった。
 だから本当に何も考えられなかった。
 生きることに疲れちゃった。
 楽しいことしか考えたくない。

 この活動も、その「自分の食い扶持自分で稼がなきゃ」プロジェクトとして頑張り続けてたんだよね。

 夢みたいなことするなって思うでしょ。
 自分はYouTuberで生きていくんだ!と同じレベルだぞって思うでしょ。

 ……でもね、わたしにできることってもう、何にもないんだ。
 できるのは自分を表現することだけ。

 ほんとに何にもないんだ。

 わかるよ、わたし超絶わがままだから。
 もしかしたら、色んなこと我慢すれば、「できることは何もない」なんてことはないんだろうね。

 だから、「やりたくない」ってことでもあるんだけど……
 わたしはやりたくないことってマジで身体が動かなくて「できない」になるからさ。
 これまでのたくさんの不登校経験がそれを実証しています。
 そして「それでも頑張らなきゃいけない」を続けていると精神科に通うことになり、しかも通っても何も改善しないという状況に陥ることも実証されています(高校時代)。

 それにわがままを辞めてまで生きなきゃいけない理由がわかんない(と言いながら自分の食い扶持は自分で稼がなきゃっていう真面目さで頑張っちゃう人間なんだけど)。
 え、じゃあ何でわたしはわたしとしてここに生きてるの?ってなる。

 そんなことのために生まれたわけじゃない。
 そんな人生わたしは嫌。

 わたしは一つの経験からすぐに人生レベルの話になるんです。そうやって人生経験積んできたし、色んなことを考えてきた。笑
 何のために生きてるんだろう、
 幸せな人生って何だろう、
 どうしたらわたしは納得できるんだろう、幸せになれるんだろうって。

 色々考えて、一応たくさん頑張ってきて、でも、何にもならなかったの。
 ただ、疲れちゃった。

 だから、「わたし、生きてるよ」だけでもう、生きていきたいなぁ。

 自分を表現することしかできることないって、そういうこと。

 

 だから本当は音楽で稼ぎたいとかですらないんだよ。
 音楽はわたしを表現する手段だから。
 わたしにできることは自分を表現することだけ→その手段(発露)の一つが音楽であって。
 だから音楽を拡大させるっていうより、音楽を内包した活動全体を拡大させるのがわたしのやりたいことなの。
 活動ってだから、自分を表現することなんだけど。

 じゃあその中心って何なのってことでさ、
 もしかしたら、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、
 それだけはだめだって思って頑張り続けていた、「無職」「ニート」「もう何もない」なんじゃないかって、思った。

 ただ命があるだけ。
 ただ心があるだけ。

 でもさ、それでいいじゃん。

 それだけで、十分すぎるぐらい、十分じゃん。

  ↑このブログを書いていたときには掴み切れていなかった、わたしが「いのち」に惹かれる理由、その「いのち」の話を聞ける気がして占いが好きな理由、わかったよ。

 ただ命があれば、心があれば、それでいいじゃない。

 それじゃダメなんて、絶対おかしいよ。
 間違ってる。

 命だけで、生きていきたい。
 命だけで十分だよって、たくさんの魂にそう言ってあげたい。

 ただ命があるだけ。

 それが、宵部憂の、核です。

 

 だから、わたし、自分の何もなさに向き合うよ。

 もう頑張らないし、もう逃げない。
 無職やニートと向き合う。

 わたしは就活も院進も、というより大学卒業後の進路を考えることの全てを放棄したから、このまま行くとニートだからね。

 もう足掻かない。
 むしろニートを見つめる。

 一切我慢ができないニートとして生きていくんだ。
 生きていくっていうか活動を続けていくっていうか。
 どっちも同じ意味か。

 それが一体どういうことなのか、自分でもさっぱり分からなくて怖いけど、
 核が、地に足のつくところが、見えてきたから、ひたむきに、地道に、何かやっていけたらいいな。
 ひとまずはブログも音楽も続けること!

 

 新章宵部憂。
 一体何章目なんだろう。
 わかんないし、数えることに意味ない気がするからまあいっか。

 これからもよろしくね。

 

 わたし、たくさんの命を癒したい。たくさんの命のために祈りたい。たくさんの命のために感じたい。たくさんの命のために、やりたいこと全部やりたい。
 まずは自分自身のこの命のために。

 生きていくんだ。

 

 

 自分でもあまり気付いていなかったけれど、
 わたしは随分、「生きる」ってことを考え続けていたみたいだし、これからも考えていくみたいだ。

 死にたい、でも夢を叶えるまでは死ねない、っていうかどうせ臆病だから死ねない、それにせっかく生まれてきたんだから死にたくない、死にたくない、生きたい。死んでるみたいに生きたくない、生きたい。生きたい!!!って、ずっと思ってきたから。
 死と隣り合わせの友人たちをたくさん見てきたから。

 ただ命があるだけ。

 うん、良いテーマだな。
 とっても。