っはーーーー、なんか色々とまた鎧を剥がしたらスッキリした。
文章も心なしだけじゃなく、実際素直で弾力があって瑞々しくてきらっとした感じになってきたんじゃないかな。
文章が堅く、鎧ったものになるのはね、「舐められたくない」からだったよ。
ちょっとでも不完全で、未熟と言われるような部分を出したら、叩かれる、って分かってたから、あるいはマウント取られて不快な思いをするって知ってたから、わたしに足りないものなんてありません、わたしは大人ですって顔をしてたの。
でもよく考えたら、あるいは考えるのやめて遠くから観察してみたら、そもそも「人を舐める」っていうことが横行してる空間自体が淀んでんじゃんね。
わたし、高校時代にとある筋で霊媒してもらったときに、「スポンジみたいになんでも吸収するから、やばいときは魂が不浄の方向に行かないように不登校になったりして身を守っている」って言われたのね。
あー、だからわたしは、その淀みに本能的に気がついてたんだな。
やめやめ、やーめよ。やっぱ世間ってクソだわ。
そしてね、同じ霊媒で「『この指止まれ』をすれば良いのです」とも、わたしは言われてるんだ。
こんなふうに建国したのもそのためです。
でも、わたしは全然ちゃんと城壁を閉じられてなかったということに今日気がつきました。
ちゃんと城壁が閉じられてなかったら、どこが国なのかわかんないじゃんね。吸引力5割減だ。
それどころか、「閉じてるからダメなのかな……?」とかってキョロキョロしたり。よそ見だし体力の無駄だったな。
いや、そのことに気づけたから結果的に無駄ではないんだけど。
篭城生活楽しみまーす。
あ、さっき書いた記事で「オング読むぞ!」って言ったのにまたブログに戻ってきちゃったね。
だって書きたいことが湧くんだもの。書きたいうちに下書きしてたら本書きもしたくなっちゃうんだもの。しょうがない。
オング読むうちにも書きたいこと湧きそうだし。さすがにそうなったら読み終わってから書くと思うけどさ。
話を元に戻すと、鎧がなくなって開けっぴろげになったわたしは、「宵部憂」という字面には合わないぐらい奔放で子どもっぽい部分も解放することになるとは思うけど、それもいいかなって思ってる。だいじょうぶ、わたしであればそれは全部宵部憂らしいもん。
そもそも宵っていうのはそんなに暗い時間じゃなくて、夜の始まりだもんね。あ、やばい、わたしの尊敬する梨本ういさんの曲に「夜の終わり」という超神曲があるんだけど、わたしは「夜の始まり」なんだ! やばいなんか縁感じちゃった。
夜の始まり。まだぼんやりとものの輪郭は見えて、世界が青色に沈むような時間帯。でも、それってやっぱりわくわくするような特別な夜の始まりや、心の触れ合いが起きるような時間帯であって、別に悲しい時間帯じゃなかったことを思い出した。
ああ、子どもっぽくてもいい、むしろ子どもの頃どころか生まれたまんまに帰るんだ、って開き直ったら、あの頃感じていた喜び--それはたぶん、生きていることへの歓喜--をたくさん思い起こせるようになった。
夏は情緒がぐらぐらするから、数日前まで辛かったけど、この童心を思い返すために、夏はわたしの情緒を揺すぶっていたのかもしれない。
空気の匂いも、眩しすぎる光も、まだ聴こえないけどもうすぐの蝉の声も、夕立も。
わたしは8月30日、夏の最後の盛り生まれだから、絶対意味のある情緒のしんどさだって知ってたけど、こういうことだったんだな。
夏はわたしに一番大事なことを教えてくれるんだ。きっとこれから先も。
ああ、「開き直る」って言葉についても書きたくなってきた!!! どうしよう、とりあえず歌の練習してから考えます。先に言っておくとわたしはこの言葉が好きです。