わたしの作品は、わたしから生まれた神様です。

 分かった気になって、わたしの領域にズカズカ入り込んできて、ベタベタ触ってくる奴が、大嫌いでした。

 今も、昔も。

 他人のことなんて分かるはずがなくて、だからこそ分かろうとすることや想像すること、会話することに意味があるのに、相手のことをまるで分かっているような物言いをするのは、不敬です。

 親は子に、そういうことをしてしまうものだよな、と思うし、わたしのこの苛烈な感情も、おそらく親との関係の中でそういった扱いを受けたことによって生まれたものです。

 だからって、残念ながら、子を一人の人間として、自分が分かりきることのできない存在、つまり「他人」として見ることができる親の方が希少だと思うので、それ自体についてわたしはあまり憤りません。されたことの不快さについては不快だし不敬だと感じますが、まあ親子ってそうなっちゃう宿命だよな、だから子は巣立つわけで。とか、思っています。

 話を戻しますが、ただ、この「分かられてたまるか」という気持ち--分かった気になって馴れ馴れしくしてくる奴への異常なまでの警戒心--によって、わたしがわたしの領域を広げられなくなっていた、というのもまた事実です。

 とくに、わたしは自分の作品に対して説明を行うことが非常に嫌いです。

 なぜなら、説明してどういうものか分かるものなら、そもそも作品にしないからです。

 作品とは、いくつもの偶然が重なり、またそれ自体も偶然や運命を巻き起こすものであるため、言葉で全容を説明できるものではないからです。

 だから余計に思います。「分かられてたまるか」と。

 繰り返し観たとしても、その度にその人に「分かり」や「気づき」や「悟り」を与えられるものは、わたしの目指すものですが、
 消費としての「分かった」なんぞのために、わたしの作品は存在しているわけではありません。

 作者のわたしにすら把握しきれない、把握しきれる時など来ない、人智を超えた感覚と可能性を封入したもの、それが ” 作品 ” だ、とわたしは思っているし、わたしはそういった作品(芸術作品、音楽、媒体や形態に関わらず)が好きだし、好きだからにはわたしもそういったものを作り上げて「作品」と呼んでいるのです。

 分かられてたまるか。

 そのせいで、自分がしていることの宣伝も、非常に苦手としていました。
 宣伝に添える言葉が、どうしても作品の説明となってしまうからです。受け取る人に、「この曲はこんな態度で聴くんだよ」と言い含めるような文章を、わたしは書きたくなかったのです。

 ただ、説明としてではなく、わたしもまた鑑賞者の一人として、自分の作品に気づかされたことを繰り返し書いていく、ということは、これからやってみようと思います。

 実のところ、新曲を投稿するたびに、反応が気になって、SNSの「いいね!」数やYouTubeの再生数をチラチラ見てしまう自分がいました。

 その度に、不安になるし、寂しくなるのです。
 そして自分の奥底から声が聞こえる。
わたしを見て!」と。

 でも、気づいてしまいました。

 その「わたしを見て!」は、「SNSの反応や再生数ではなく、わたしが生み出した作品を見て!」と、わたしが、わたしに言っていたのだと。

 人の反応なんて気にしている場合じゃなくて、わたしは、わたしの作品にもっと色々なことを気付かされるべきだと、やっと、今日悟ることができました。

 自分が自分の作品をしっかり鑑賞しなくて、他の誰がそうしてくれるのかと。

 わたしによる、わたしの作品の鑑賞記録が、ひょっとするとわたしの宣伝になるのかもしれない、それだったら、わたしは嫌な気分にならずに書き続けられるのかも知れない。そんなふうに思いました。

 それに、「作者が自分の作品についてどう感じて、どう思って、何を考えているのか」って、わたしはあまり聞いたり読んだりことがなくて。

「何を思って作ったか」は、わたしも書いているし、尊敬する作家の文章やインタビューで聞いたことがあるけど、「自分ですら気づかなかったけど、この作品にはこれが現れているかもしれない。それは自分のこういう変化と結びついていると思う」といった記述は、今のところ目にしたことがない……少なくとも思い出せません。

 そう、わたしは、自分の作品すらも、自分の意図で100%できているとは全く信じていません。むしろ、わたしの作ったものであっても、わたしの全く知らなかったことをわたしに囁いてくれることも多いのです。

 それを書いて、人に読んでもらうことが、果たして何になるのかは、よく分かりませんが……

 ただ、今のわたしに必要な気がするので、書いてみることにします。

君はきっと振り向きはしないだろう 移ろう影に惑わされない眼が好きだから それでいいよ とか 物わかりのいい継ぎ接ぎを重ねては ボロ切れ みたいな様になってるの

 この曲も、「分からなくていいよ。それでもわたしはここにいる」っていう寂しさが詰まったものだったなって。

 わたしは自分の作品を、自分の分身……いや、日本神話の神様が、禊をしたり戦ったりするだけで簡単に他の神様を生むように、自分が生み出した、でも自分とは全く別の神様だと思っています。

 だから、その別の神様であるところの自分の曲が教えてくれたことを書くことは、何か、わたしの役目であるような気がするのです。

 わたしの尊敬する人が、「影響力のある人は、自分が自分に一番影響を受けている人」と言っていました。
 今なら、その言葉の本質が分かります。

 わたしがこれまで目や耳にしてきた、影響を受けてきた素晴らしい作品と同じように、いや、それ以上に、なのかな。
 わたしはわたしの生み出した作品に影響を受けるべきだし、その影響について語るべきだと気づいたのです。

SNS
投稿カレンダー
2021年12月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
Twitter by Wi SHOBU
2021/08/08新曲「宇宙的メルヘン紀行」
このページをシェア