今まで、世界とか宇宙って言葉と、社会って言葉を、わたしは区別してきたね。
社会っていうのは、大人たちの世界。
みんなきちんと働いて、常識に沿って、大人らしい振る舞いができる世界。
親が認めてくれる世界。
そういうものを、わたしは「社会」と呼んでいたし、それを現実みたいに思っていたし、事実、それを「現実」として押し付けられてきたような気がしていた。
一般とか普通とか言われている領域。
厳しい現実、しんどい仕事、社会的責任。
でも、……そんなふうに社会や現実を語ってきた大人たちは、実際、どのぐらい社会や現実が見えていたのかな。見てきていたのかな。
それって、一方向からの視点じゃないのかな。
わたしが経営の話が好きなのは、全く知らない社会の見方を知れるからかもしれない。
政治や社会学を勉強するのが面白いのも、多分同じ理由。
経営者になりたいのも、そういう理由があるのかも。
だからさ、やっぱりどうしても、
「世界ー宇宙ー夢ー多元的なものーわたしが息できる場所」と、
「社会ー現実ー閉塞感ー画一的なものー息ができない場所」が、対置の関係にあるって思ってたの。
あ、でも、違うのか。
「わたしが社会」って、
わたしの憧れの人は言っていたけど、こういうことだったの!?
わたしは今まで、自分は今までずっと「子ども」と呼べる年齢だったからさ、
わたしが何か言うと「あなたは社会を知らない」「だからそういうことを言うんだ」みたいに言われてきたから、
「あ、わたしは社会を知らないんだ」「社会ではこうなんだ」とか思い込んできたんだけど、
あ、わたしが社会なの!?!?
っそ、そそそそっか。
あ、そういうこと!?!?!?
わたしは、「今までは子どもだったからうまく言えなかったけど、いつかわたしの方が正しいって、社会に証明してやる!!!!」とかって思ってたんだけど、
わたしが社会なの!?!?!?!?!?
っそ、そそそそっか。
いやマジで!?!?!?!?
「世界は自分で創る」も、そういうことだったの!?!?!?
やば!!!!
全然わかってなかったわ!!!!!
あ、じゃあ、だから、そ、そっか、
わたしにとってはどーーーーー考えたってこうなるでしょ!!!!!ってぐらい自明なことですら「あなたは社会を知らないから」みたいなこと言ってくる奴に対して、
「なんて非常識な人!!!!!」
で良かったのか!!!!!
世界は自分で作ってるってそういうことだったのか!!!!!
やば!!!!!
社会の中で夢叶えるために使ってたわ!!!!
全然違ったわ。
イメージとしてはあれだね、自分の周りにいろんなものが集まって、それがわたしの「世界」「社会」になってる感じ?
だから自分の周りを何で埋め尽くすかによって、世界や社会は作れる!的な。
あああっっっそういうことか……!!!!!!!!
なんてこった。
いまわたしのなかではコペルニクス的転回が起きている……ッッッ!
そっかだから、周りの人に自分のことを話して、たとえ賛同が得られなかったとしても、否定されたとしても、「わかってもらえなかった🥺」って思わなくてもいいのか。
だってその人とは別の社会で生きてるんだもん。
だから、わかってもらえなくても別に大丈夫なのか。
ああああッッッなるほどッッッ………………!!!!!
だから、証明も必要なくて。
認められる必要もなくて。
自分で作れるってことなのか……。
ああ……そうか……
みんながそれぞれのバブルの中にいて、
バブルの自分側の面に写った光景=「社会」を見て、生きてるんだね。
さらにそのバブルの中に、実際手に触れられる範囲の世界もあって。
でもほんとは、そのバブル全部ひっくるめて自分なんだ。
だから、自分の内側に世界も社会もあるんだ。
……なるほどぉ……!!!!
ヤッッッッベーことに気づいちゃったな。
これから何かが大きく変わっちゃいそうな予感。
もちろん良い方向にね。
わくわくどきどき。