いま、この記事↓とかで書いていた、「どうやってわたしは高校3年生の頃からボロボロのメンタルを立て直してきたのか、今もそれを続けているのか」っていうことについてのまとめ原稿を書いているんだけど、書くのがちょっとしんどくもある。
書いてると、どんどん出てくるんだよね、
昔からずっとそうで、だからずっと諦めていた、悲しみきれなかった無念が。
「なんでわかってくれなかったの?」「なんでわかってくれないの?」ってやつが。
それで、「またわかってもらえなかったらどうしよう」って。
それが辛い。
今まではさ、「もうわかってもらわなくてもいい。わたしは自分の言いたいことを吐き出すために書いてる」って感じで、「わかりにくい」「何を言ってるのかわからない」っていう言葉と戦ってきた……というか、そういう言葉を躱してきたんだけど、
やっぱり「何かを変えたい」「必要としている人に伝えたい、届けたい」って気持ちで、今書いてる原稿は書いてるから、つまり伝えたいからさ、「わからない」「伝わらない」って言われたらどうしようって気持ちがどうしても入ってくるの。
……でももう限界なんだよね!!!!!!
わからないお前が鈍いんだよ!!!!!!
去ね!!!!!!
って感じだワ。
わたしの文章は多分、考えれば考えるほど何言ってるか分からなくなるし、分かったとしても頭だけでわかったってしょうがない、みたいなものばっかだと思います。
文章だけじゃなくて詩とか作品とかもね。
だから感じてください。
知らんがな。
わからなければわからないでいいよ、わたしはわかる人にだけ伝わるように書くから。
つまりそれは誰に向けて書くかっていうと、過去や未来のわたしに向かって書くから。
その中身がなんかわかるって人にだけ届けばいいよ。
わからないわからないって言う人にいくら説明しようが、その人はそれがわかるタイミングじゃないのかも知れないからさ、説明してわかってもらってもそれってもともとこっちが伝えたかったことではなくなってるんだよね。それじゃこっちは不満でしかないわけ。
そもそも言葉や理屈を伝えたいとかわかってほしいんじゃないじゃんか。
言葉をきっかけに、ある感情や経験を想像して、聴いた人の頭の中でその人なりに復元してほしいってことでしょ。
だから言葉や理屈だけが伝わったってなんの意味もないわけ。「復元」がなされなければ。
っていうか正直、わたしにはわたしの文章の何がわかりにくいのか全然わからないんだよね。
えっまじで全然わからない。
全然わからない!!!!
わたしはどうやら言葉や読解は生まれつき得意みたいだから、あんまり「わかりやすいもの」「わかりにくいもの」っていう区別がそもそもわからないかもしれないし。
言葉で書かれているものを、(数式とかは全然ダメなんだけど)読み解こうと思って読み解いて、何言ってるかわからなかったことがないから、っていうかすぐにはわからなくてもわかりたかったらわかるまで考えるし、だから「わからない」や「わかりにくい」がわかんない。文章がわかりにくいんじゃなくて、自分がそれをわかるために時間がかかるってだけじゃないかな。
もっと考えろよ!!!!って思う。
なんでこっちが歩み寄らなきゃいけないの? っていうか、歩み寄ろうとしたところでそれ、もともとわたしが言いたかったことでもやりたかったことでもないんだってば。
前提の前提の一から説明しようにも、あんたがどんな前提で躓いてるのかとかいちいちケアしてやる謂れはこっちにはないしさ。
もちろん質問してくれたらいっぱい答えたいけど。うん、わかりたかったら質問してねって感じ。
だから「わからない」って「特に興味ない」だよね、多分。
別に興味ないならそれはそれで全然いいんだ、興味ないなんて許さない!とかは流石にないから。
これは特定の誰かに向かって言ってるって言うよりは、自分の頭の中の「わかんない」「何言ってるのかわからない」って囁いてくる「誰か」に向かって言ってるの。
でも、「わからない」と言っている人を無理やり「わかる」に変えようとするっていうのだって、よく考えたら押し付けだし、暴力的な話だな。
だから、人に伝えたい、自分の生きてきたこれまでを何かの役に立てたい、と思っても、やっぱり変わらず、自分に刺さる言葉でやっていくのが一番なのかなって。
そもそも、裏テーマっていうか、裏だけど一番の目的は、自分自身を助けることだしね。
過去の自分自身を。
一番辛くて、助かりたかった時の自分を。
だからブログとそんなに意識変える必要なかったんだな〜。
変えちゃってたから消耗してたんだと思う。
またちょっと書き進めてみます。それでまた気づくことがあったら書くね。