「しにたい」「きえたい」「いなくなりたい」「いなかったことにしたい」「意識がなくなっちゃえばいいのに」「いなかったほうが」「楽になりたい」「ころされたい」「隠居したい」「仙人になりたい」「わたしのことはもう死んだものと思って」の、先を、生きてきてよかった。
ずっと、それを考えてた。
生きてることは辛かったけど、死にたくなかった。
生きたかった。
できることなら、楽しく生きたかったけど、そんなの無理だって思ってた。
好きなことで食っていけるなら、辛いことあっても耐えられるかなあ、とか思ってた。
楽しく生きるなんて無理、とか、好きなことやるにしたって嫌なこともやらなきゃいけないんだ(これは父から言われたのを丸々信じちゃった)、って、思ってたから、もう何もかもしんどくなっちゃって、楽になりたいって思うようになってた。
でも、やっぱり生きたかった。
だから、なんとか生きていく方法を必死に探してた。
そこで、心屋さんと、子宮委員長はると、Happyちゃんの本やブログに出会った。
びっくりした。
やりたいことやって、やりたくないことやめる、
自分の身体の快・不快と本音を大事にして、本音を言う、本音を生きる、抑圧しない、
良い気分でいる、
そういうことが大事だって言うんだもん。
で、生きていくために当然必要な「お金」も、なんか、そうしてくと動いてくよって言うんだもん。
マジかいな!?!?!?
早く教えてといてよっっっ
って思った。
で、不器用だし、必死だし、まだわかってない部分もあるけど、そっちの方向を試してみてる。
だって、それしかない気がしたんだもん。
わたしが、生きたいって思える方向がね。
もうわたしは色んなことがありすぎて、疲れすぎちゃって。
こっちの道に全部で転がっていくしかないんだぁ。
もう10年以上、「しにたい」の先を生きてるよ。
でも、そうしたら、意外と道が見つかってる。
大丈夫だよ。
あなたは絶対大丈夫。
10年以上「しにたい」の先を生きてるからさ、
わたしって実は結構すごいのかも。
わたしは自分のこと過小評価しすぎだったのかもね。
わたしは思ったよりずっと不屈だし、
ずっとものが見えてるのかもしれない。
少なくとも、そんじょそこらの人よりよっぽど人生語れるね。笑
「しにたい」の先をどう生きるかという哲学的命題に、10~22歳の間の全てを使って取り組んできたわけだから。これからもそうなのかも?
子供時代を「しにたい」で過ごした人もそうそういないでしょ。笑
そう、わたしはシンガーソングライターになりたいという夢だけを支えに、
杖みたいについて、えっちらおっちら人生という険しい山道を登ってきたわけです。
まだしねない、わたしにしか書けない曲を、わたしはまだ世に出してもいない、だからまだ死ねない、って。
最近険しくなくなったけどね。急に道が舗装されてきたし、ケーブルカーも開通したんだけど。笑
だからさ、「しにたい」の先にも、たくさん道はあるから。
命さえあれば、そこから無限の可能性が広がってるんだって今はわかる。
「社会」や「現実」すら、ゼロから創り出せるんだって。
だから、生きていてほしいな。
必ず、あなたの願いは全部叶うよ。
叶わない願いなら、そもそも人間の頭に浮かぶはずがなくない?
叶うから浮かぶんだって。
そしてそれはあなたが生まれた意味のひとつ。無数にある、生まれた意味、生きてる意味の。
生きていてほしいな。
大丈夫。
絶対に大丈夫だから。
わたしがいるから。